ドボ鉄050超特急で和歌山へ

絵はがき:阪和線・雄ノ山トンネル/紀ノ川橋梁(和歌山県)


 大阪の天王寺を起点として、和歌山の間の延長61.3kmを結ぶ阪和線は、阪和電気鉄道という私鉄を買収した路線である。阪和電気鉄道は、1927(昭和2)年に着工し、1929(昭和4)年7月に阪和天王寺~和泉府中間を第一期線として開業させ、翌年6月には第二期線として和泉府中~阪和東和歌山間が開業して、本線が全通した(阪和天王寺~阪和東和歌山間は延長61.2km)。この区間は、すでに南海鉄道が開業していたため、後発の阪和電気鉄道は山側に線路を敷設した。
 阪和電気鉄道は、軌間1067mmの鉄道であったが、高速運転を重視し、大出力の主電動機を搭載した高速電車によって、1933(昭和8)年から阪和天王寺~阪和東和歌山間を45分で走破する「超特急」を登場させた。その最高速度は120km/h、表定速度は81.6km/hに達して、戦前の営業列車の表定速度としては国内最高を誇った。
 しかし、阪和電気鉄道は、交通事業調整の観点からライバルの南海鉄道に吸収合併されることとなり、1940(昭和15)年に南海鉄道山手線となった。さらに1944(昭和19)年には戦時輸送体制を強化するために山手線のみが国に買収され、国鉄阪和線を経てJR西日本阪和線となった。
 絵葉書は阪和電気鉄道が全通記念に発行したもので、右下隅には「昭和五年五月十日由良要塞司令部許可済」とある。絵葉書では沿線を象徴する構造物として山中渓~紀伊間に建設された複線断面の雄ノ山トンネル(延長1551m)と上路プレートガーダによる六十谷~紀伊中ノ島間の紀ノ川橋梁(延長482m)の写真が用いられているが、このうち、紀ノ川橋梁は2009(平成21)年に国土交通省の紀の川大堰建設事業にともなって連続トラス橋に架替えられ(下り線は2008(平成20)年11月、上り線は2009(平成21)年3月より供用開始)、現在に至っている。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2015年9月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

表定速度って、どんな速度のことですか?

A

走行距離を、単純に到達時間で割った速度のことです。到達時間には、駅の停車時間も含まれます。駅の停車時間を除いた走行時間のみで計算した速度は、平均速度と呼ばれます。阪和電鉄の「超特急」は阪和天王寺~阪和東和歌山間ノンストップでしたから、表定速度=平均速度ということになります。列車は、最高速度に達して停車するまでの加減速時間や、曲線などの速度制限区間があるので、最高速度だけで速さを比較してもあまり意味はありません。(小野田滋)


”阪和線”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

白浜のパンフレットは、阪和電鉄と南海電車が共同で作ってますが、ライバル同士じゃないんですか?

師匠

終点は南海が和歌山市駅、阪和電鉄が阪和東和歌山駅だが、そこから先は鉄道省の東和歌山駅から紀勢西線に乗り入れていた。東和歌山駅は、今の和歌山駅だ。

小鉄

鉄道省は、もう電化してたんですか?

師匠

いや、紀勢西線はまだ電化していなかった。だから電車は直通できなかった。

小鉄

それじゃ、白浜まで行けないじゃないですか?

師匠

そこで、電車に鉄道省の客車を連結して阪和天王寺から阪和東和歌山まで行き、そこから先は鉄道省の蒸気機関車が客車だけを牽引したんだ。

小鉄

でも電車で客車を引っ張るなんて、強引ですね。

師匠

2両の電車で3~4両の客車を牽引するのが基本だったようだが、写真では最後尾にも電車が増結されているのがわかる。

小鉄

あっ、ほんとだ。まん中の4両にはパンタグラフが無いですね。

師匠

白浜と言っても、今の白浜駅は当時は「白浜口」駅という駅名で、そこからさらに乗合バスで白浜へ連絡していた。

小鉄

たしかに案内図でもそうなっていますね。

師匠

最初は阪和電鉄と鉄道省のみの乗り入れだったが、のちに南海が加わった。南海は難波発、阪和電鉄は阪和天王寺発でそれぞれ別に発車して、客車だけが東和歌山で合体して紀勢西線へ乗り入れた。

小鉄

そこまでして白浜へ直通したかったんですか?

師匠

南海は、戦後もディーゼルカーを新製して、東和歌山で国鉄の準急「きのくに」に増結して国鉄の紀勢本線に乗り入れていた。

小鉄

和歌山市駅と東和歌山駅は少し距離が離れていますが……。

師匠

明治時代に、今の和歌山線の前身の紀和鉄道という鉄道会社が線路を敷いていた。

小鉄

地図を見ると今も紀和駅を経由する短絡線がありますね。

師匠

この紀和駅が、昔の和歌山駅だった。それで、鉄道省の駅は「東和歌山駅」と名付けられたんだが、1968(昭和43)年に東和歌山駅に和歌山駅の名を譲って、「紀和」駅となった。

小鉄

この短絡線を経由して和歌山市駅から東和歌山駅に接続していたんですね。

師匠

紀和鉄道の時代はそんなつもりではなかったんだが、このルートがあったおかげで、難波から白浜口までの直通列車が可能になった。

小鉄

それでも、白浜には行く価値があったってことですね。

師匠

関東でたとえれば、熱海か箱根のような場所になるな。戦後は新婚旅行のメッカになった。

小鉄

海外じゃなかったんですか?

師匠

そのあと、宮崎ブームが訪れて、さらに沖縄、ハワイ、グアムと続く。

小鉄

僕は鉄道の無いところには行きたくないから、新婚旅行は白浜にします。

師匠

まだ肝心の相手がおらんだろう。

論文
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