ドボ鉄087電力供給事業への進出

絵はがき:阪神電気鉄道・旧尼崎発電所(兵庫県尼崎市)


 私鉄の発達とともに関連事業への進出がさかんになり、百貨店の開設や住宅地の開発、遊園地などのレジャー産業の展開が積極的に行われ、鉄道事業を支える柱として成長を遂げた。こうした関連事業は、現在も活発に行われているが、黎明期~第二次世界大戦前までは、電力供給事業も鉄道会社の収入源のひとつであった。電気鉄道として開業した私鉄のいくつかは、自営の発電所を設けて、自社の電力として使用したが、余剰電力を沿線に供給して収益を得る電力供給事業にも進出した。その先がけとなったのは、1900(明治33)年の小田原電気鉄道(現在の箱根登山鉄道)で、自営の水力発電所の電気を電灯電力として沿線の民家などに供給した。
 こうした動向を踏まえて、阪神電気鉄道でも電力供給事業を行うこととなり、1908(明治41)年から尼崎火力発電所の余剰電力を尼崎、西ノ宮、御影など沿線各地へ供給した。「尼ヶ崎発電所」と題した絵葉書には、1905(明治38)年に完成した赤煉瓦造の尼崎発電所の全景がおさめられた。
 電力供給事業は、鉄道事業収入に匹敵する収益を挙げて事業の柱として成長し、1936(昭和11)年度上期には一時的に鉄道事業収入を上回るほどであった。しかし、1939(昭和14)年には国策によって、電力供給事業は日本発送電へ統合され、鉄道事業からは切り離されてしまった(さらに戦後になって地域ごとの電力会社に分割される)。尼崎発電所は、廃止されたのちも阪神電鉄の業務施設として使用され、現在では「レンガ倉庫」としてロケーションサービスにも利用されている。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2019年8月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

発電所に使う機械類は国産品だったんですか?

A

日本にはまだ電機メーカーが育っていなかったので、すべてアメリカから輸入しました。発電機は、ゼネラル・エレクトリック社製です。日露戦争の最中だったため、機器類を積載したイギリスの貨物船ナイトコマンダー号が下田沖でロシアの巡洋艦によって撃沈されるという事件がありましたが、何とか開業に間に合わせました。(小野田滋)


”高松琴平電鉄(香川県)”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

私鉄は電車を走らせるだけじゃなくて、電気を供給していたんですね。

師匠

そうだ。かつては「ばいでん」をしていた。

小鉄

バイデンって、大統領と何か関係でも?

師匠

何を言っておる。「売電」と書いて、電気を売る。つまり電力会社の役割を担っていた。

小鉄

今でもそうなんですか。

師匠

1939(昭和14)年の電力統制で、鉄道事業から切り離されてしまった。

小鉄

儲からなかったからですか。

師匠

とんでもない。会社によってまちまちだが。鉄道事業と同じくらい儲かっていた私鉄もあったほどだ。

小鉄

もったいなかったですね。

師匠

国策で統合されて、戦後は地域ごとの電力会社に再編された。

小鉄

鉄道は統合されなかったんですか?

師匠

鉄道も地域ごとの私鉄を整理して、戦時体制のもとで一部が統合された。

小鉄

阪神電車もですか?

師匠

実は、関西の大手私鉄で、阪神だけは統合を免れた。

小鉄

何か理由があったんですか?

師匠

阪神と山陽電鉄が合併する動きがあったが、話がまとまらないまま終戦を迎えたため、統合を免れたといわれている。

小鉄

発電所を持っている鉄道会社は、今でもあるんですか?

師匠

JR東日本は、信濃川に水力発電所(ドボ鉄38回)、川崎に火力発電所を保有している。

小鉄

そう言えば、昔「人間発電所」ってプロレスラーがいましたよね。

師匠

ブルーノ・サンマルチノだな。人間発電所を知ってるってことは、お前さんはやはり昭和の生まれだな。

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