京阪電気鉄道と大阪電気軌道(現在の近畿日本鉄道奈良線)を南北方向に連絡するために設立された奈良電気鉄道は、1928(昭和3)年に京都~西大寺間(34.5km)を結び、大阪電気軌道に乗り入れた。
この路線は、銘酒で知られる伏見地区を通過することとなったが、当初は地下線で計画されていたため、酒造組合から地下水脈が断たれ、水質が変化するとして建設反対の陳情がなされた。このため、京都帝国大学地質学教室の松原厚教授に依頼して調査を行い、地下線の計画を高架線に改めることで認可を受けた。さらに宇治川には陸軍の演習地があったことから、これを妨げないよう支間164.6mの複線分格トラスが設計され、宇治川を一気に跨いだ(ドボ鉄035)。
「(伏見名所)市街西南部の壮観」と題した絵葉書は、伏見・桃山地区を縦断して南下する伏見第1高架橋が続き、その先に架設された巨大な澱川橋梁の姿がおさめられた。高架橋は、鉄筋コンクリートラーメン構造で、高架駅として桃山御陵前駅が開設された。高架橋の建設は、1928(昭和3)年6月に開始され、同年11月に完成して昭和天皇の即位大礼に間に合わせた。
桃山御陵前~西大寺間の開業式典は、1928(昭和3)年11月3日に桃山御陵前駅で来賓や会社役員を招いて盛大に挙行され、関係者は開通修祓ののちに沿線の春日大社、橿原神宮、畝傍御陵、桃山御陵を参拝して開通が奉告された。残る京都~桃山御陵前間の開業は、大礼終了後の同年11月15日に実施され、ここに京都~西大寺間が全通した。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2015年2月号掲載)
Q&A
奈良電気鉄道とJRの奈良線は、何か関係があるんですか?
どちらも京都と奈良を結んでいますが、会社や組織としてのつながりは全くありません。JRの奈良線は、奈良鉄道という私設鉄道が1896(明治29)年に京都と奈良を結びましたが、関西鉄道に合併したのち1907(明治40)年に国有化されて国鉄奈良線となりました。奈良鉄道は、現在の近鉄京都線のルートで東海道本線の京都駅に接続していましたが、1921(大正10)年に桃山~京都間の路線を変更して、東側から京都駅に接続するルートになりました(稲荷~京都間は旧東海道本線の路線を利用)。このため、奈良鉄道が建設した桃山~京都間の路線は廃線となってしまいましたが、奈良電気鉄道の建設にあたってその廃線敷と伏見貨物線として残っていた桃山~伏見間の線路敷を利用して京都への延長線を建設する認可を受け、用地の払下げを受けたのち1928(昭和3)年に開業しました。奈良電気鉄道は、1963(昭和38)年に近畿日本鉄道に吸収合併され、現在の同社京都線となりました。したがって、会社としてのつながりは直接ありませんでしたが、奈良鉄道の遺産が奈良電気鉄道を経て現在の近鉄京都線に継承されたことになります。(小野田滋)
”伏見第1高架橋(京都市)”番外編
伏見と言えば、伏見の酒ですよね。
ところが、奈良電鉄を建設しようとする時に、反対運動があった。
酒造りと何か関係あるんですか?
奈良電気鉄道では、地下線を計画していたため、地下水脈が遮断されて井戸が涸れ、水質も変化して酒造りができなくなるという理由だった。
それは死活問題ですね。
酒造は酒税にも関わるから、大蔵省主税局からも税源確保のために善処するよう要望があった。
無視できない大問題になったんですね。
そこで、京都帝国大学の松原教授が、調査することになった。
どうなりました。
結果として、延長約1kmの高架橋を建設することで地下水は確保された。
それで伏見に高架橋ができたんですね。
土木構造物には、それぞれ存在理由がある。そこをドボ鉄目線で深掘りすることが大切だ。
さっそく深掘りしてみます。
お前さんの場合は、深掘りじゃなくて深酒だろう。