総武本線の両国駅と中央本線の御茶ノ水駅を結ぶ高架線は、1932(昭和7)年に開通したが、外堀通りと昌平橋通りが交差する昌平橋交差点を斜めに横断して、松住町架道橋が架設された。松住町架道橋は、交差点に橋脚を建てることを避けるため、支問71.96m、主構中心間隔8.50m、上弦材中心までの高さ11.27m、総重量581.469tの巨大な複線下路ブレーストリブ・タイドアーチ橋として設計され、都市部における騒音防止のために、バックルプレートを用いた有道床式とした。
橋梁の上部構造は東京石川島造船所で製造され、施工監理は鉄道省東京第二改良事務所、施工は大林組により行われた。松住町架道橋の架設は、地盤面から足場を組んで架設作業を行なう足場式により行なわれたが、昌平橋交差点は市電も通過する交通の要衝であったため、路面交通を妨げないよう路面上4.85mの空頭を確保することとした。
施工にあたっては車両などの衝突で足場が変形しないよう接地部分をコンクリートで十分に根固めしたほか、落下物を防護するため板囲いと鉄網で足場を囲って万全を期した。また、部材の組立てには、両側の橋台上にクレーンを設置して行われた。足場の組立ては1932(昭和7)年3月下旬に開始され、同年6月下旬までに塗装工事を含めてすべて完成した。
ブレーストリブ・タイドアーチ橋は、道路橋でいくつか建設された実績があるが、鉄道橋ではきわめて数少なく、その後はランガー橋やローゼ橋など、よりスマートなスタイルのアーチ橋が主流となった。「大東京(神田区)省線電車お茶水秋葉原間東洋一の陸橋」と題した絵葉書には、昌平橋交差点の上空を斜めに跨ぐ松住町架道橋の全景がおさめられたが、その勇姿は今も地域のランドマークとして機能している。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2023年1月号掲載)
Q&A
松住町架道橋はトラス橋のようにも見えますが、アーチ橋なんですか?
アーチ橋の一種になります。和弓の弦(つる)にあたる部分のように、アーチの端と端を直線の部材(タイ)で緊結して、水平方向の力を引張力として伝達する構造のアーチ橋を「タイドアーチ」と呼んでいます。アーチのリブ(肋骨)材としてブレース(筋交い)を用いていて、ここがトラスを組んでいる部分になります。このため、この形式を「ブレーストリブ・タイドアーチ」と呼んでいて、かつて日本語では「楔形構繋拱」などとも書かれました。(小野田滋)
”総武本線・松住町架道橋(東京都千代田区)”番外編
ブレーストリブ・タイドアーチ橋って、舌をかみそうな名前ですね。
どこかで見た形だと思わんか?
あっ、ドボ鉄第76回の八ッ山橋と同じ形ですよね!?
よく覚えていたな。八ッ山橋は鉄道を跨ぐ道路橋だったが、松住町架道橋は鉄道橋だ。
あまり鉄道橋では見ないですよね。
日本の鉄道橋ではここと、あとは新日鐵くろがね線の枝光橋だけになるな。
枝光橋もドボ鉄第36回で紹介済ですね。
枝光橋は1939(昭和5)年だから、松住町架道橋よりも2年ほど早く完成した。
松住町架道橋が日本最初ではないんですね。
最初ではないが、枝光橋はもう鉄道は通っていないから、現役の鉄道橋では松住町架道橋だけになってしまった。
松住町架道橋は、交差点の真上に架かっているから、威圧感が半端ないですね。
交差点を斜め方向にひとまたぎで横断しなければならないから、アーチ橋くらいしか選択肢はない。
上路のトラス橋かアーチ橋でも、うまく解決できそうですけれど?
そうなると道路の空間が狭くなって、余計に威圧感が増すから、下路を選択して橋梁の下の空間をなるべく広く確保した。
そう言えば、昌平橋の交差点をくぐる時に、頭の上にあんな大きな橋が架かっているなんて、今まで気がつきませんでした。
秋葉原の駅で東京~上野間の高架橋を跨がなければならないから、このあたりは高架橋を含めて高い位置を通過することになった。
たしかに、普通の高架橋よりも高い位置を通過してますね。
今はビルに囲まれてしまっているが、完成した頃は低層の建物ばかりだから、遠くからもよく見えたと思うぞ。
ランドマークってことですね。
ほかに無い特徴的な橋を架けることによって、ランドマークとして機能していたのかもしれないな。
松住橋架道橋の手前で神田川を跨いでいる橋脚も変わった形をしてますね。
神田川橋梁だな。π(パイ)型ラーメンの馬脚(うまあし)と上路プレートガーダを組合わせて、神田川に橋脚を建てないように設計された。
このあたりの橋はそれぞれ違った形をしていて面白いですね。
なぜここにこんな形の橋が架かっているのか、橋の形式にこだわって深掘りすると景色が違って見えるようになるぞ。