中央本線の岡谷~塩尻間は、1983(昭和58)年に塩嶺トンネルを経由する複線の新線が開業し、辰野経由の旧線は単線のまま、普通列車のみが運転される路線として存続した。岡谷~川岸間に架かっていた初代の第1天竜川橋梁は、支間200フイート(60.1m)クラスの単線下路の曲弦プラットトラスで、天竜川を右60度で斜めに跨いだため、斜橋として設計された。
端柱を垂直に立てたのが特徴で、両端を切り詰めたような形状にちなんで、トランケート(「切り詰める」の意)トラスと呼ばれている。斜橋としたため片側の端柱は斜材とし、絵葉書に見られるように「一歩前」に踏み出したような特徴的なスタイルとなった。設計荷重にアメリカで使用されていたクーパー荷重を用い、部材にアイバーを用いた典型的なアメリカ式のピントラスで、アメリカンブリッジ社で1904(明治37)年に製造された。同一設計のトラス橋は1910(明治43)年までに合計7連がアメリカから輸入され、肥薩線(4連)、山陰本線(2連)でも用いられたが、第1天竜川橋梁はその最初の1連目であった。
第1天竜川橋梁は、1906(明治39)年6月11日の岡谷~塩尻間の開業とともに使用を開始し、約70年間にわたって中央本線を支え続けたが、1983(昭和58)年に延長5,994mの塩嶺(えんれい)トンネルが完成し、岡谷~塩尻間はこのルートを本線とした。第1天竜川橋梁に取り付けられていた製造銘板は、現地の右岸側にある御倉町公園と左岸側にある橋原第一公園にモニュメントとして保存された。
第1天竜川橋梁の架け替えと同時に河川改修工事が行われたため、下部構造も撤去されたが、岡谷方にあった岡谷架道橋の跡地には明治時代の石積み橋台が残存し、旧線の痕跡を今に伝えている。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2023年11月号掲載)
Q&A
アイバーとは何のことですか?
ピントラスと呼ばれる、ピンを用いて部材を結合するトラス橋で用いられる棒状の部材になります。ピンを挿入する部分が目玉のような形をしていることから、アイ(目)バー(棒)と呼ばれます。明治時代のアメリカ製橋梁で多用されましたが、現在も建築構造などで用いられています。ピンを挿入する部分が、列車の振動や材料の劣化などでゆるみやすいという欠点があります。(小野田滋)
”中央本線・第1天竜川橋梁(長野県岡谷市)”番外編
アメリカンブリッジ社の銘板は、珍しいんですか?
アメリカンブリッジ社の橋梁はあちこちで使われたから、いくつか残っているぞ。
たとえば?
レプリカだが、横浜の汽車道という廃線跡の遊歩道に架かっている港1号橋梁と港2号橋梁に取り付けられている。
銘板は、必ず取り付けるんですか?
必ず取り付けるわけではない。初めから銘板のない橋梁もあるし、戦争中の金属供出で外されてしまった橋梁もある。
銘鈑に書く内容は決まっているんですか?
明治時代は特に定められていなかったが、1925(大正14)年に「鋼鉄道橋製作示方書」で基本的な記載事項や書式が制定された。
それがこの図ですね。
これはあくまでも標準図で、銘板にはいろいろな種類があるから奥が深いぞ。
師匠は調べ尽くしたんですか?
まだ一部だけしか把握していないが、『鉄道構造物を探る』という本を講談社で出版した時にいくつか紹介したことがある。
さっそく買います……って、これって番宣ですよね。