ドボ鉄145揖斐川を跨いだ複線トラス橋

絵はがき:東海道本線・揖斐川橋梁(岐阜県大垣市/瑞穂市)


 濃尾平野を流れる木曽三川のうち、最も西側を流れる揖斐川は、岐阜県揖斐川町の冠山付近を水源とし、濃尾平野を潤して桑名付近で伊勢湾へとそそいでいる。1887(明治20)年に揖斐川橋梁を含む大垣~加納(現在の岐阜)間が開業し、木曽三川には、イギリス人技師チャールズ・アセトン・ワットリー・ポーナルの設計による支間200フィート(約61m)の単線下路のダブルワーレントラスが架設された。この支間200フィートのダブルワーレントラスは、標準設計として合計112連が全国各地に架設され、東海道本線では富士川、大井川、天竜川でも用いられ、揖斐川橋梁は5連で構成した。
 明治時代の初期に架設されたトラス橋は、蒸気機関車の大型化によって新しいトラス橋へと架替えられ、揖斐川橋梁も1908(明治41)年に下流側に支間200フィートのアメリカ製複線下路プラットトラスを新設して複線化し、初代のトラス橋は廃止された。
 「揖斐川の鉄橋」と題した絵葉書には、黒煙をたなびかせた上り列車が2代目の揖斐川橋梁を通過中で、その背後には役目を終えた初代の揖斐川橋梁のイギリス製ダブルワーレントラスが見える。初代のトラス橋は、レールを撤去して道路橋へと転用され、「揖斐川橋」として現在も余生を送っている。下部構造も一部にコンクリート巻き補強を行った程度でほぼ原型をとどめ、その文化財的な価値が評価され、2008(平成20)年には国の重要文化財に指定された。
 一方、1908(明治41)年より用いられていた2代目のトラス橋は、アイバーの弛緩が問題となって1961(昭和36)年に廃止され、下流側に3代目のトラス橋を架設した。2代目のトラス橋はしばらく放置されていたが、1985(昭和60)年にすべて撤去された。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2023年10月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

ダブルワーレントラスはどんな特徴があるんですか?

A

ダブルワーレントラスは、ワーレントラスの斜材をXの字に交差させたもので、明治期の長径間のトラス橋に用いられました。使用する鋼材の量が多くなるため、大正時代以降は特殊な場合を除いて用いられませんでした。ただし、一部の部材が損傷しても構造を維持できるため、破壊工作や空爆などのおそれがある紛争地の橋梁で用いることがありました。実際に、日本でも戦時中に廃止されたダブルワーレントラスを用いて、水戸陸軍爆撃場で耐爆試験が実施されました。(小野田滋)


”東海道本線・揖斐川橋梁(岐阜県大垣市/瑞穂市)”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

旧揖斐川橋梁の色は、これまで明るい色だったのに、保存修理工事で黒っぽくなってだいぶ印象が変わってしまいましたね。

師匠

黒っぽい色は鳶色(とびいろ)という色で、鳥のトンビの色になる。茶褐色の濃い色になるかな。

小鉄

何で鳶色にしたんですか?

師匠

揖斐川橋梁が完成した明治時代の橋梁の色は、だいたい鳶色が用いられていた。重要文化財に指定されたことをきっかけとして、保存修理工事が行われて最初の色に戻したんだ。

小鉄

暗い色だから写真映えもしないし、なんか地味ですよね。

師匠

当時は蒸気機関車の全盛時代だったから、明るい色で塗ってしまうとすぐに煤(スス)で汚れてしまう。

小鉄

だから昔の客車とかも茶色い色だったんですね。

師匠

あと鉄の錆汁(さびじる)や車両のブレーキの鉄粉などで線路まわりは汚れやすいから、なおさらだ。

小鉄

大井川橋梁の彩色絵葉書も鳶色ですね。

師匠

彩色絵葉書だから真偽は不明だが、当時の絵葉書の鉄道橋は、だいたい鳶色で、たまに緑色がある。

小鉄

ほかに手がかりがあったんですか?

師匠

当時の塗り替え記録や、塗膜のサンプル、研磨などでも鳶色が確認された。

小鉄

師匠も無精だから汚れが目立たないように、暗い色の服を着ていた方がいいですよ。

師匠

余計なお世話だ💢

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