ドボ鉄149日本最初の地下鉄道を実現した人々

絵はがき:東京地下鉄道車内(東京都)


 日本最初の地下鉄道となった東京地下鉄道は、1927(昭和2)年12月30日に上野~浅草間(現在の東京メトロ銀座線の一部)で営業を開始した。開業前日には、朝香宮鳩彦(やすひこ)親王と竹田宮恒徳親王を招き、会社幹部の案内で試乗が行われた。
 「(東洋唯一地下鉄道)地下鉄道内部、向って左北白川若宮(軍服)、朝香宮両殿下」と題した絵葉書には、完成したばかりの1000形電車に乗る両宮家と会社幹部の姿が収められている。絵葉書のキャプションにもあるように、向かって左側に両宮家が座るが、その後方に開業時の社長であった野村龍太郎(元鉄道院技監、満鉄総裁など)の姿が見える。また、右側の奥には初代社長の古市公威(元帝国大学教授、鉄道作業局長官、初代土木学会会長など)の姿があり、根津嘉一郎(東武鉄道社長)、早川徳次(専務取締役/会社設立の功労者で「地下鉄の父」と称される)と続く。
 電車は日本車両製造で新製されたが、初の地下鉄用車両として耐火性を重視し、木材を使用せずに当時としては珍しかった全鋼製車両として登場した。内装は一見すると木製のように見えるが、鋼板に木理塗装(木目調の塗装)と呼ばれる特殊技法を用いて温もりを与え、間接照明を白塗りの天井に反射させて照度を確保した。また、吊手はアメリカで用いられていた跳ね上げ式のリコ式が採用され、掴棒(つかみぼう)とともに白色琺瑯引として消毒をし易くし、衛生面にも配慮した。
 開業時に用いられた10両の1000形電車のうち、記念すべき1001号は、当時の姿に復元され、現在は地下鉄博物館(東京都江戸川区)で保存・展示されている。また、2017年(平成29)年には電車として初めての国重要文化財に指定された。
(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2020年6月号掲載)

 

この物件へいく


Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

鉄道車両も国の重要文化財に指定されているんですか?

A

1997(平成9)年に指定された鉄道博物館の1号機関車が最初で、2023(令和5)年末までに11件の鉄道車両が国の重要文化財に指定されています。文化財の種類としては、土木構造物や建築物が「建造物」、鉄道車両が「美術工芸品」として扱われています。(小野田滋)


”東京地下鉄道車内(東京都)”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

師匠。この「東京地下鉄道線路略図」を見ると、新橋までは今の銀座線ですけれど、その先は渋谷ではなくて品川へ伸びてますよ。

師匠

ああ、当時は品川をめざしていたんだが、1938(昭和13)年に渋谷~虎ノ門間を結ぶ東京高速鉄道という地下鉄が開業して、さらに翌年1月15日には新橋へ線路を伸ばした。

小鉄

それで銀座線が誕生したんですか?

師匠

ところが両社の新橋駅はやや離れた位置で向き合ったまま、線路は接続していなかった。

小鉄

中途半端ですね。

師匠

一般的には品川延伸を計画していた東京地下鉄道が、渋谷方面へも乗り入れることがダイヤ上難しいと渋ったためとされているが、単に工事の遅れだったとする説もある。

小鉄

「諸説あり」ですね。

師匠

結局、8か月後の9月16日に接続して両社の直通運転が開始された。

小鉄

東京地下鉄道と東京高速鉄道は、その後どうなったんですか?

師匠

1941(昭和16)年に陸上交通事業調整法によって、東京地下鉄道と東京高速鉄道が統合されて、帝都高速度交通営団という組織になった。

小鉄

あっ、今の東京メトロの前の営団地下鉄っていう組織ですね。

師匠

「営団」は戦時中に発足した「官」と「民」の中間的組織で、特殊法人の一種になるが、いわゆる国策会社とも性格が異なっていた。

小鉄

地下鉄以外にも営団があったんですか?

師匠

住宅営団とか農地開発営団などがあったが、終戦直後に連合軍の指令ですべて整理されて、帝都高速度交通営団だけが残った。

小鉄

「営団」ってなんだか団結力が強そうな名前ですね。

師匠

「社員」ではなく「団員」、「入社式」ではなく「入団式」と呼んでいた。

小鉄

明智探偵とか小林少年がいそうですね。

師匠

それは「少年探偵団」だ。小林少年を知ってるってことは、お前さんさては昭和の生まれだな。

小鉄

勇気凛々瑠璃の色~♪

絵はがき工事概要記念写真工事画報1工事画報2工事画報3工事画報4
Back To Top