ドボ鉄015鉄道の要衝

絵はがき:東海道本線・豊橋駅(愛知県豊橋市)


 愛知県の東端に位置する豊橋市は、三河地方の中心地として知られ、豊橋駅には東海道本線、東海道新幹線、飯田線、名古屋鉄道名古屋本線、豊橋鉄道渥美線(新豊橋駅)、豊橋鉄道東田本線(市内線)の3社6路線が接続する。
 豊橋駅の歴史は、1888(明治21)年に開業した東海道本線の豊橋駅にさかのぼり、その後1899(明治32)年には豊川鉄道(現・飯田線)、1925(大正14)年には豊橋電気軌道(現・豊橋鉄道)、1927(昭和2)年には愛知電気鉄道(現・名古屋鉄道名古屋本線)と渥美電鉄(現・豊橋鉄道)、1964(昭和39)年には東海道新幹線が接続し、かつては国鉄二俣線(現・天竜浜名湖鉄道)の列車も乗り入れていた。
 「豊橋名勝停車場」と題した絵葉書には、東海道本線の豊橋駅本屋が向かって左側にあり、駅前広場にあった新豊橋駅から渥美電鉄の電車が発車していた。中央奥に見えるやや髙い三角屋根の建物は、豊川鉄道と愛知電気鉄道が共用した吉田駅本屋で、豊川鉄道はのちに国有化されて現在の飯田線となり、愛知電気鉄道も名岐鉄道と合併して名古屋鉄道となった。
 絵葉書の撮影時期は不明であるが、渥美電鉄が駅前に乗り入れた1927(昭和2)年以降の昭和戦前期の撮影と推定される。駅前広場には、人力車や自動車が待機し、交通機関の発達とともに駅前広場が混雑した様子がうかがえる。
 その後、1950(昭和25)年にはいわゆる「民衆駅」(国鉄と地元の共同出資により駅本屋を改築して商業施設を設けた駅)として建て替えられ、国鉄における駅ビル事業のさきがけとなった。現在では、駅も改築されて橋上駅となり、駅前広場も整備されて大きく変化した。かつて別の駅を設けていた飯田線と名古屋鉄道も、吉田駅から豊橋駅に改称し、線路を共用して豊橋駅に乗り入れて、今日に至っている。(小野田滋) (「日本鉄道施設協会誌」2015年8月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

名鉄と飯田線は、何で同じ線路を使っているんですか?

A

 飯田線は、もともと豊川鉄道、鳳来寺鉄道、三信鉄道、伊那電気鉄道という私鉄4社が経営していましたが、4社は昭和18年に国に買収されて国鉄飯田線となりました。愛知電気鉄道が名古屋方面から豊橋に線路を延ばした時に、豊川鉄道と線路を共用して昭和2年に豊橋駅(当時は吉田駅)に乗り入れて駅を共同使用しました。豊川鉄道が国有化されて飯田線となってからも、私鉄時代の運行形態を継承して現在に至っています。(小野田滋)


”東海道本線・豊橋駅”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

この電車、路面電車にしては大きいですね。

師匠

ああ、豊橋には路面電車も走っているが、これは路面電車ではなくて、今の豊橋鉄道渥美線の電車だ。

小鉄

何という電車ですか?

師匠

渥美電鉄のデテハ1000形と言って、1両しか造られなかった。

小鉄

えっ、たった1両ですか。

師匠

この形式が1両だけということで、ほかの形式の電車は何両かあった。

小鉄

何か特別な電車なんですか?

師匠

いい質問だな。当時としては、珍しい全鋼製車として日本車両で製造されたんだ。

小鉄

電車の車体は全部鉄でできてるんじゃないですか?

師匠

今の電車は、鉄か軽金属でできているが、昔は台枠だけ鉄製で車体は木造だった。

小鉄

鉄の土台に木造アパートを建てるようなもんですかね。

師匠

大正時代の末期になると、外板や骨組だけ鉄を使って、内装は木造という車体が登場した。

小鉄

半分だけ木造なんですね。

師匠

そう。だから半鋼製車と呼んでいた。

小鉄

ってことは、全鋼製車は全部鉄を使ったってことですね。

師匠

その通り。

小鉄

はじめて全鋼製車だった電車は何ですか?

師匠

阪急の600系電車が最初で、大正15年に製造された。

小鉄

へぇ、国鉄じゃなかったんですね。

師匠

渥美電鉄のデテハ1000形も、同じ大正15年に製造されたんだ。

小鉄

「デテハ」ってあまり聞いたことのない形式ですね。「デハ」は、モーター付の電動車ということで「デ」、「ハ」は普通車という意味だったと思うんですが。

師匠

お前さんもずいぶん詳しくなったな。「テ」は「鉄製」を表わしたと言われておる。

小鉄

うちの木造アパートも鉄板を張って、せめて半鋼製くらいになりませんかね。

駅構内跨線橋
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