ドボ鉄018架空線式で最初の地下鉄道

絵はがき:阪急電鉄京都線・大宮駅(京都市中京区/下京区)


 わが国における地下鉄道の歴史は、1927(昭和2)年に開業した東京地下鉄道の上野~浅草間に始まるが、それに前後していくつかの民鉄線で地下線が建設されていた(1925(大正14)年に開業した宮城電気鉄道仙台駅や、1928(昭和3)年に開業した神戸有馬電気鉄道湊川駅のように1駅のみの地下線の先例があった)。
 1931(昭和6)年に開業した現在の阪急電鉄京都線の地下線は、大阪市営地下鉄御堂筋線よりも早く、関西地方では最初の本格的な地下鉄道となった。この路線は、もともと京阪電気鉄道の淀川西岸線として、傍系の新京阪鉄道を新たに発足させて建設を開始したもので、終端の延長約2km区間を地下線とした。
 この地下線の特徴は、第3軌条ではなく、一般的な架空線による集電方式を採用した点で、当時としては画期的な試みであった。「新京阪電車地下鉄道」と題した絵葉書には、地下駅として建設された京阪京都駅(現在の大宮駅)の様子がおさめられ、鉄骨製の中柱や、天井に張られた架線の様子がよくわかる。停車している電車は新京阪鉄道自慢の高速電車P-6形(のちのデイ100形)で、定格出力200馬力の強力な主電動機を搭載し、併走する国有鉄道東海道本線の超特急「燕(つばめ)」を抜き去った伝説は、今も語り草となっている。
 新京阪鉄道は、1930(昭和5)年9月に京阪電気鉄道と合併したが、西院(さいいん)~京阪京都の地下線はその翌年の3月31日に、京阪電気鉄道新京阪線の延長線として開業した。さらに陸上交通事業調整法によって阪神急行電鉄と合併することとなり、1943(昭和18)年に京阪神急行電鉄新京阪線となった。戦後の1949(昭和24)年には、京阪電気鉄道を分離して京阪線と京津線を譲渡したが、新京阪線は京都線として京阪神急行電鉄に継承され、阪急電鉄京都線となって現在に至っている。(小野田滋) (「日本鉄道施設協会誌」2012年9月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

第3軌条式と架空線式は何が違うんですか?

A

 電車を走らせるためには電気が必要ですが、一般には第3軌条式や架空線式で電気を供給しています。
 電化製品のコンセントにあたる部分になりますが、走りながら電気を受け取らなければならないため、第3軌条では線路脇に第3のレール(軌条)を敷いてここに電流を通し、台車の横に取付けられたコレクターシューでこの第3のレールをこすりながら、電気を受け取っています。
 架空線式は、線路の真上に架線を張ってここに電気を通し、車両の屋根上に設けたパンタグラフでこれをこすりながら電気を受け取ります。架空線式はパンタグラフを屋根に乗せるため、トンネルの断面を大きくする必要があります。
 ほとんどの鉄道が架空線式を用いていますが、東京の銀座線や丸ノ内線、名古屋の東山線や名城線、大阪の御堂筋線や千日前線など、一部の地下鉄やこれに乗入れる私鉄では第3軌条式を使っています。(小野田滋)


”阪急電鉄京都線”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

新京阪鉄道の京都地下線は、名古屋まで延ばすという計画があったという話を聞いたことがありますが、都市伝説か何かですかね。

師匠

いや、都市伝説ではなくて、本気で考えていた。

小鉄

新幹線みたいなものですか?

師匠

新京阪鉄道は広軌だったので線路の幅は新幹線と同じだが、この当時はまだ新幹線のような高速電車はなかった。

小鉄

じゃあ普通の電車を走らせようとしたんですか?

師匠

新幹線ほどではなかったが、新京阪鉄道はすでにP-6形という高速電車を登場させていた。東海道本線の超特急「燕」を抜いたというエピソードがある伝説の名車だ。

小鉄

ルートなどは決まっていたんですか?

師匠

京都地下線をほぼそのまま東に延ばして、大津から先は名古屋急行電鉄という別会社を設立して鈴鹿山脈の北縁をトンネルでくぐり抜けて、名古屋の金山あたりにターミナルを建設する計画だった。

小鉄

壮大な計画ですね。

師匠

1929(昭和4)年には免許状が下付されたんだが、不況によって実現せず、免許も1935(昭和10)年に失効してしまった。

小鉄

完成していれば、便利だったでしょうね。

師匠

だが、25年後には東海道新幹線が開業するから、今頃はお荷物になっていたかもしれんぞ。

建設概要
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