ドボ鉄021八王子をめざして

絵はがき:京王電鉄京王線・多摩川橋梁(東京都府中市/多摩市)


 京王電鉄は、その名の通り、東京と八王子を結ぶ鉄道として1910(明治43)年に京王電気軌道として設立された。京王電気軌道は、軌道法に基づく鉄道として発足し、将来は東京市街鉄道(のち東京市電を経て東京都電)との接続を考慮して、軌間1372mmという特殊なゲージを採用した。路線は甲州街道にそって敷設され、1913(大正2)年に笹塚~調布間を開業させ、1916(大正5)年には府中まで達したが、多摩川橋梁の建設が困難で、府中以西の延伸に至らなかった。
 しかし、沿線の期待は大きく、1922(大正11)年に地方鉄道法に基づいて玉南電気鉄道を新たに設立し、府中~八王子間を建設することとなった。玉南電気鉄道は、1925(大正14)年3月に東八王子まで開業したが、「玉南電気鉄道多摩川鉄橋」と題した絵葉書には、完成したばかりの多摩川橋梁を渡る電車の姿がおさめられた。橋脚と架線柱は複線分が確保されているが、桁は単線のみが架かっていることが理解できる。
 玉南電気鉄道は、国からの補助金を獲得することを意図して地方鉄道法で出願し、軌間も1067mmを採用したが、結果的に補助金を得ることができず、府中での乗換えも不便であった。このため、わずか1年9か月後の1926(大正15)年12月に京王電気軌道に合併され、改軌工事を行って京王電気軌道との直通運転を開始した。短命に終わった玉南電気鉄道であったが、路面電車の規格で発足した京王電気軌道は、地方鉄道の規格で設計された玉南電気鉄道の電車を走らせるために施設の改良工事を行うなどし、高速電気鉄道へと脱皮する契機となった。沿線の高幡不動尊には、「玉南電気鉄道記念之碑」が建ち、短命に終わったこの鉄道の功績を讃えている。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2015年10月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

1372mmという線路の幅は、珍しいんですか?

A

 日本の鉄道は、軌間(線路の内側の左右幅)1067mmが一般的で、JRの在来線などで使われています。海外では軌間1435mmが一般的で、日本でも新幹線や一部の私鉄で使われています。1372mmはそのちょうど中間で、フィート・インチ単位で4フィート6インチ(4.5フィート)となります。
 この軌間は、1882(明治15)年に開業した東京馬車鉄道が起源で、採用に至った経緯などはわかっていませんが、スコットランドの鉄道でも使われていた記録があります。東京馬車鉄道は、ほどなく電化されて東京電気鉄道となりましたが、軌間は1372mmのままで、これに乗入れまたは乗り入れを計画していた京浜電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)、京王電気軌道(現在の京王電鉄)、京成電気軌道(現在の京成電鉄)などがこの軌間を使っていました。京浜急行電鉄と京成電鉄はその後1435mmに改軌したため、今でも使っているのは京王電鉄と相互乗り入れをしている都営地下鉄新宿線、それから函館市電、東急電鉄世田谷線、都営荒川線といった路面電車のみです。(小野田滋)


”京王電鉄京王線・多摩川橋梁”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

師匠、「たまなん」電気鉄道なんて聞いたことありませんよ。

師匠

それは「玉南」と書いて「ぎょくなん」と読むんだ。

小鉄

なんか、牛丼屋で生玉子を追加注文する時みたいですね。

師匠

それを言うなら「寿司屋」だろう。「ぎょく一丁」と言ったら締めの玉子焼だ。

小鉄

へぇ、さすが師匠は通ですね。

師匠

玉南電気鉄道はわずか1年9か月しか存在しなかったから、知っている人はほとんどいないだろうな。

小鉄

もう何も残っていないですかね?

師匠

沿線の高幡不動尊の境内に「玉南電気鉄道記念之碑」と書かれた大きな石碑が建っている。

小鉄

交通安全祈願で有名ですね。

師匠

その石碑には、玉南電気鉄道が設立されたいきさつや、事業のあらましなどが詳しく記されている。

小鉄

石碑に記すことで、その功績が後世に伝わるんですね。

師匠

鉄道にちなんだ記念碑や慰霊碑は、あちこちにあるから、訪ね歩くと鉄道の楽しみ方がひとつ増えるぞ。

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