徳島を起点として、中田、牟岐を経て海部へ至る延長79.3kmの牟岐線のうち、徳島~中田間の延長9.2kmは阿波国共同汽船会社、中田~羽ノ浦間の延長8.5kmは阿南鉄道の私鉄路線をそれぞれ国有化した区間であったが、羽ノ浦~牟岐間の延長50.0kmは鉄道省岡山建設事務所の所管により1934(昭和9)年1月に着工し、全線を8工区に分割して工事が行われた。阿波中島~阿波富岡(現在の阿南)間には、支間39.0m×1連+支間46.8m×9連の合計10径間で構成される、橋長472mの那賀川橋梁が架設された。
「徳島県那賀郡平島村景観・那賀川鉄橋」と題した絵葉書には、那賀川に架設されたトラス橋の姿がおさめられ、短径間の単純トラスがずらりと並んでいる。設計荷重KS-12の平行弦下路ワーレントラスで、1936(昭和11)年3月27日の羽ノ浦~桑野間の開業と同時に供用を開始した。支間長が異なる2種類のトラスを用いたが、主構の高さを揃えて橋梁全体の一体感を確保した。
那賀川橋梁では、終戦直前の1945(昭和20)年7月30日に通過中の旅客列車に対して艦載機による爆撃と機銃掃射があり、橋梁上で脱線した列車が標的となって多くの犠牲者を出した。この悲劇は、「那賀川鉄橋の空襲」として今も地元で語り継がれ、橋梁の部材には当時の弾痕が残っているほか、左岸には「平和之碑」が建立された。
牟岐線はその後、1942(昭和17)年に牟岐まで開業したが、牟岐~海部間は戦後に工事を再開し、日本鉄道建設公団大阪支社が担当して、1973(昭和48)年に全通した。海部以南はさらに阿佐線として工事が進められ、1992(平成4)年に第三セクターの阿佐海岸鉄道によって海部~甲浦間が開業した。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2017年4月号掲載)
Q&A
阿波国共同汽船が、なぜ鉄道を経営していたんですか?
阿波国共同汽船は、徳島と大阪を結ぶ船会社で、のちに共同汽船となりました。徳島の玄関口は、小松島港で徳島からやや離れていたので、徳島と小松島港を結ぶ延長約11.1kmの鉄道が阿波国共同汽船によって敷設されて、1913(大正2)年に完成しました。開業と同時に政府が借り受けて「小松島軽便線」として民設官営で営業が行われました。1917(大正6)年に国に買収されてのちに小松島線となりましたが、中田~小松島間は1985(昭和60)年に廃止されました。(小野田滋)
”那賀川橋梁”番外編
那賀川橋梁は、鉄道橋なのに人も渡れると聞きましたが、ほんとですか?
本当だ。トラスの外側に歩道が増設されていて、人や自転車が渡れるようになっている。
鉄道の橋に、歩道を付け足したってことですか?
そういうことになる。鉄道橋は重い機関車が走るので頑丈にできているから、歩道を増設してもたいした負担にはならない。
なるほど。
地方では、橋の数が限られているから、地元の人が遠回りをせずに川を渡れるように鉄道橋に歩道を取り付けた例がいくつかある。
ほかにもあるんですか?
廃止されてしまってだいぶ少なくなったが、飯田線の中部天竜と佐久間の間に架かっている天竜川橋梁はまだ現役だ。
東京にもありますか?
東京でも、浅草と東京スカイツリーを結ぶ最短ルートとするために、東武鉄道隅田川橋梁に歩道橋を併設する予定だ。
いつできるんですか?
2020年のオリンピックにあわせて、来年春には完成するそうだ。本物の鉄道橋を間近に見られるから、今から楽しみだな。
すいません。僕は高所恐怖症なんで、師匠おひとりでどうぞ。
………。