わが国における航空機の歴史は、1910(明治43)年12月19日、東京の代々木練兵場で、徳川好敏大尉がフランスから持ちこんだアンリ・ファルマン機によって飛行したのが最初である。今回紹介する絵葉書は、その数年後に東海道本線の名古屋~枇杷島間の庄内川に架かる枇杷島川橋梁で撮影されたもので、橋梁上を驀進する蒸気機関車と、その上空をかすめるモーリス・ファルマン機が1枚におさめられている。
モーリス・ファルマン機はアンリの弟であるモーリス・ファルマンによって開発され、陸軍の制式機として1913(大正2)年にフランスから導入されたばかりであった。それは、ライト兄弟の初飛行からちょうど10年目にあたり、飛行機はようやく冒険から実用化の段階へと移行しつつあった。
列車が渡る枇杷島川橋梁は、当時、支間70フィート(約21m)×9連の上路式プレートガーダによって構成されていた。写真をよく見ると、桁の補剛材(スティフナー)の上下端が「J」の字に曲がっていることに気がつくが、これは明治30年代頃まで製造されたイギリス系の鉄桁の特徴で、設計者の名にちなんでポーナル桁と総称されている。
モーリス・ファルマン機の最高速度は90km/hとされるので、列車とほぼ互角であった。曲技飛行による「見せ物」に過ぎなかった飛行機が、交通機関として鉄道の強力なライバルになろうとは、想像すらできなかった頃の1コマである。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2007年3月号掲載)
Q&A
補剛材って何ですか?
プレートガーダを構成する部材のひとつで、桁の変形で主桁の側面(ウエブ/腹材)が座屈(ざくつ)することを防ぐため、補剛材を用いて補強します。座屈は、プレートガーダのような薄板で構成される構造(橋梁、船舶、航空機、車、鉄道車両など)で生じやすい破壊現象で、圧縮力が小さい段階では加わる力に比例して変形量が変化しますが、圧縮力がある値を超えると急激に変形量が増大して薄板が局部的に破壊してしまいます。プレートガーダでは一般に、垂直方向に補剛材を取付けて(垂直補剛材)、これが外観上の大きな特徴になっていますが、力の加わり方や構造物の形状によって、水平方向にも補剛材を取付ける場合があります(水平補剛材)。英語では「stiffener」(固くする物や人、補強材などの意)で、「スティフナー」「スチフナー」「スティッフナー」などと呼ぶ場合もあります。(小野田滋)
”枇杷島川橋梁”番外編
飛行機はフランスですけど、蒸気機関車はどこの製造ですか?
この機関車はアメリカ製だ。アメリカン・ロコモティブ社、略してアルコ社の8900形と言って、1911(明治44)年に輸入された日本で最初の「パシフィック」機関車だ。
「パシフィック」って、パ・リーグのことですか?
何を言っておる。「パシフィック」は蒸気機関車の車軸の配置を表すアメリカ式の名称で、前輪2軸、動輪3軸、後輪1軸という軸配置を「パシフィック」と呼んでいる。
どんな機関車があったんですか?
「パシフィック」は、特に高速型の蒸気機関車で使われた。イギリスのマラード号、ドイツの01形、アメリカのペンシルベニア鉄道のK4S形、満鉄のパシナ形、日本のC51形など、世界の名機関車が勢ぞろいだ。
フランスには無いんですか?
フランスにも242A形1号という名機があった。それからフランスのオネゲルという作曲家の作品に「パシフィック231」という名曲があるぞ。
「パシフィック」の231形ですか。
いや。よく形式と勘違いされるが、231はフランス式の車軸配置の表し方で、2軸・3軸・1軸という意味だ。機関車が発車して加速し、停止するまでの様子を6分くらいの短い楽曲で描写している。
ぜひ聴いてみたいですね。
軸配置でも、前輪1軸、動輪4軸、後輪1軸は、日本にちなんで「ミカド(帝)」と名付けられた。
そんな機関車があるんですか。
明治時代に、アメリカから9200形蒸気機関車を輸入した時に名付けられたと言われている。有名なD51形蒸気機関車も「ミカド」だ。
その流れで「コテツ」って軸配置は無いですかね。
今からアメリカに蒸気機関車を注文したら、名前が付くかもしれんぞ。