わが国におけるレールは、鉄道開業以来、外国製品を輸入していたが、1901(明治34)年に官営八幡製鉄所(現在の日本製鐵八幡製鐵所)が操業を開始し、同時に国産レールの製造がスタートした。製造にあたっては、ドイツから職工長としてウィルヘルム・ナールバッハを招聘してその指導を仰ぎ、二重式圧延機3基を用いてアメリカ土木学会(ASCE)の規格による60ポンドレール(30キロレール相当)が製造された。
しかし、加熱炉の能力が低かったことや、機械設備が不十分であったこと、良質の原材料に恵まれなかったこと、機械の操作や作業が未熟であったことなどから生産を安定させることができず、特殊なレールを除いて完全に国産化されるのは1930(昭和5)年になってからであった。
「製鐵所・軌條工場」と題した戦前の絵葉書は、八幡製鐵所の軌条工場をとらえたもので、圧廷機によって、レールを所定の断面に仕上げている様子が収められている。鉄道省では、鉄道に納入する資材の製造現場を監督・指導し、品質検査などを行う機関として製作監督事務所を設置し、八幡製鐵所についても1930(昭和5)年に鉄道省工務局八幡駐在(のち製作監督官派出所)が置かれて、常駐による製造工程の技術監督が実施された。この監督体制は、品質の安定とともに1968(昭和43)年に廃止された。
かつて「鉄は国家なり」と言われ、鉄を自国で生産できるかどうかは、近代工業国家のバロメータであった。そうした意味ですべてのレールの国産化が達成されるまで、日本の工業力はまだ発展途上の段階だったのである。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2009年8月号掲載)
Q&A
レールの形は複雑ですが、溶かした鉄をどのようにしてレールの形に仕上げるのですか?
レールを製造する工程は、溶鉱炉で鉄鉱石とコークスなどを高温で混ぜて銑鉄(せんてつ)とし、さらにこれを生成して所定の成分に製鋼し、鋳型で固体の鋼塊を製造します。この鋼塊を圧延機にかけますが、絵葉書では圧延機のロール部分に熱した鋼塊を挟んで、回転するロールで圧力をかけながら延ばしている様子がわかります。ロールで挟む部分の形状を変えることによって、所定のレールの断面となるよう形を整えます。(小野田滋)
”製鐵所”番外編
日本には日本刀があるくらいだから、昔から日本で鉄ができていたんじゃないんですか?
何を言っておる。刀とレールでは、鉄の成分も作り方も全然違う。
どういうことですか?
刀は、たたら製鉄と言って、砂鉄を原料、木炭を燃料として低温で溶かして鉄を生成し、刀鍛冶が仕上げる。日本独特の製法と言われるが、大量生産には向いていない。
時代劇で見たことありますけど、大変そうですね。
刀の重さは、種類にもよるが、だいたいひと振りで重さ1キロ前後、長さは1メートル弱だ。
重過ぎては、腰に差せませんよね。
ところが、レールの標準的な長さは1本が25メートル、1メートルあたりの重さが30キロ以上もあるから、鉄の量が桁違いだ。
たった1本のレールを造るのに、刀750本分以上の鉄が必要ってことですね。
しかもレールを量産しなければならない。
手仕事では、とても間に合いませんね。
製鉄所と呼ばれる大きな工場で、大量の鉄を生産するだけでも大変だが、さらに機械を使って製品として加工する必要がある。
だいぶハードルが高いですね。
当時の技術者たちは、何度も失敗して、試行錯誤を繰り返しながらようやくレールの生産を軌道にのせることができた。
でも鉄が国産化できなければ近代国家じゃないなんて、少しオーバーじゃないですか。
何を言っておる。鉄が国産化できなければ軍艦や蒸気機関車、橋梁、レールなどの鉄製品は外国製に頼らざるを得ないから、技術の自立もできなかった。
たしかに、外国製に頼っていては、いつまでたってもそれ以上の物は造れませんからね。
ようやく解ったか。
僕も師匠に頼らなくなれば、一人前ってことですね。
まだまだ修行が足りんから、相当先の話だな。
そんなことないですよ。頑張りますから。
「鉄は熱いうちに打て」と言うから、冷めないうちに鍛えるぞ。
打たれ弱い性格なんで、やさしくお願いします。