1954(昭和29)年に公開された田中友幸監督の映画「ゴジラ」によれば、東京湾に出現したゴジラは、品川沖から品川駅構内に上陸し、東海道本線の上を跨いでいた八ッ山橋を破壊した後、悠然と東京湾へ引揚げた。当時は、まだ東京タワーや霞が関ビルが建っていなかった時代なので、とりあえず目の前に立ちふさがる八ッ山橋を破壊したということになるだろうか。はるばる大戸島から東京をめざして上陸したゴジラにとっては物足りなかったかもしれないが、八ッ山橋はその時代の東京を象徴する構造物であったことを物語っている。
「品川八ッ山橋の勝景」と題した絵葉書には、日本初のブレーストリブ・タイドアーチ橋として、1914(大正3)年に鉄道院技師・大河戸宗治の設計によって完成した支間136フィート(約41.5m)の八ッ山橋が、東海道本線×4線、京浜線×2線、山手線×2線の8線分の線路を跨いでいる。八ッ山橋の上を渡る電車は東京市電で、当時の京浜電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)の品川停留場は現在の北品川駅付近にあった。京浜電気鉄道が専用のトラス橋(八ッ山跨線線路橋)を架けて鉄道省の品川駅の西側に乗り入れるのは1933(昭和8)年のことであった。
また、中央のやや手前に写る高欄は、わが国最初の鉄筋コンクリート構造による控壁式土留擁壁の一部で、東京帝国大学助教授・柴田畦作の設計によって1914(大正3)年に完成した。当時は、まだ鉄筋コンクリート構造物の黎明期であったが、100年以上の歳月を経て今も現役である。
八ッ山橋は、1985(昭和60)年に現在の橋に架け替えられたが、現地には親柱と高欄の一部がモニュメントとして保存され、付近の観光案内板には「ゴジラ上陸地点」として紹介されている。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2020年8月号掲載)
Q&A
八ッ山橋は日本で最初に鉄道を跨いだ道路の橋だったんですか?
1872(明治5)年、日本で最初の鉄道として新橋~横浜間が開業した時に、旧東海道と鉄道は2カ所で交差しましたが、そこに日本で最初の鉄道を跨ぐ橋(跨線人道橋)が架設されました。品川の八ッ山橋(第9号橋梁)と神奈川の青木橋(第19号橋梁)です。どちらも尾根筋に旧東海道があり、その下を開削して鉄道を通したため、径間4間(約7.3m)ほどの木製桁が架設されましたが、1881(明治14)年には錬鉄桁に架替えられました。(小野田滋)
”八ッ山橋(東京都港区/品川区)”番外編
師匠。八ッ山橋がゴジラに破壊されたって、ほんとですか?
あれは、映画の話だぞ。
やだなあ。ボケただけですよ。
八ッ山橋は、「ゴジラ」以外の映画にも登場するぞ。
何という映画ですか?
川島雄三監督の代表作で「幕末太陽傳」という映画だ。
「幕末」なのに、何で八ッ山橋が登場するんですか?
冒頭に現代の旧品川宿界隈を紹介するシーンがあって、そこで登場する。
見てみたいですね。
今でもカルトな人気のある映画だから、DVDで発売されているぞ。フランキー堺の主演だ。
「喜劇・大安旅行」とか、旅行シリーズの俳優さんですよね。
お前さんもずいぶん古い映画を知っているな。
映画に登場するくらいだから、当時は有名な橋だったってことですか?
誰でも知ってるというほどではないが、独特のスタイルの橋で見映えもするから、映画に使われたんだろうな。
「バえる橋」ってことですね。
無理に若者言葉を使わなくても、お前さんが昭和の生まれってことは「大安旅行」を知ってる時点でバレバレだ。