蓄電池を用いた電気車の歴史は古く、1837年にイギリスのロバート・デビッドソンが発明した世界最初とされる電気機関車も蓄電池を用いていた。その後、1880(明治13)年にアメリカのフランク・スプレーグによって架線とトロリーポールで集電する架空線式が発明され、電気車の主力となった。電気車を長距離で走らせるためには架空線式が有利であったが、その後も蓄電池車は鉱山や炭坑、トンネル工事で用いられた。
「構内引込線と電池機関車」と題した絵葉書には、有蓋車を連結した蓄電池機関車が中央に写るが、機関車は国鉄唯一の蓄電池機関車として1927(昭和2)年に2両が登場した10形(のちAB10形)で、王子から隅田川河畔の大日本人造肥料(のち日産化学)に至る須賀線や、王子から下十条の王子製紙十條工場(のち十條製紙を経て現在の日本製紙)に伸びる北王子線で用いられた。須賀線と北王子線は途中で分岐したが、絵葉書の写真は須賀線にあった大日本人造肥料の構内である。
この線に蓄電池車が投入されたのは、陸軍造兵廠豊島貯弾場が近傍にあり、陸軍が架線の火花をきらったためと伝えられるが、王子周辺の陸軍の工場では架空線式の専用軌道が用いられ、須賀線も1931(昭和6)年に架空線式となるので、理由は他に求められると推察される。AB10形も同時にパンタグラフを取付けて架空線式に改造され、形式もEB10形となって須賀線が廃止される1971(昭和46)年まで使用された。
EB10形は1両が東京都府中市にある郷土の森公園に保存されており、一般にも公開されている。また、北王子線は須賀線廃止後も存続し、東京23区内に残る最後の現役専用鉄道として機能していたが、2014(平成26)年に運転を終了した。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2021年2月号掲載)
Q&A
専用鉄道って何ですか?
専用鉄道は、1900(明治33)年8月10日付・逓信省令第28号で定められた「専用鉄道規則」の第1条で「一個人又ハ一会社ニ於テ個人専用ニ供スル為鉄道ヲ敷設セムトスルトキハ地方長官ヲ経由シテ免許ヲ申請スヘシ」と定義されました。現在の鉄道事業法では、「専ら自己の用に供するため設置する鉄道であって、その鉄道線路が鉄道事業の用に供される鉄道線路に接続するものをいう。」と定義されています(鉄道事業法・第2条第6項)。あくまでも特定の個人や会社が専用で使用する鉄道なので、それ以外の不特定多数の旅客や貨物を運んで営業することはできません。日本で最初の専用鉄道は、1895(明治28)年に日本鉄道深谷駅を起点として設けられた日本煉瓦製造の専用線です。(小野田滋)
”須賀駅(東京都北区)”番外編
蓄電池で走る車両って、最近の話かと思ってましたが、昔からあったんですね。
原理は簡単だから誰でも思いつく発想だが、いろいろと問題があって、実用化はしたものの一般には普及しなかった。
どんな所で使ってたんですか?
鉱山やトンネル工事の現場では、排気ガスが出ず、レールを敷くだけで走ることのできる蓄電池機関車が重宝された。
蓄電池で走る電車も登場していたんですね。
あまり知られていないが、1912(明治45)年に神戸市電で「エジソン・ピーチ式電車」という路面電車が1両だけが導入された。
あっ、この写真ですね。
よく見ると、外国人も何人か写っているぞ。
蓄電池で走るってことは、充電が必要ですよね。
あたりまえだ。
AB10形は、どこで充電してたんですか?
最寄りの田端機関区に充電所が設けられた。
王子から少し距離がありますよね。
3km弱はあるかな。
もし電池が切れたら、どうしようもないですよ。
そのリスクは、畜電池を使う以上は今も昔も変わらないぞ。
運転しながらヒヤヒヤしませんかね。
お前さんも、ずいぶん心配性だな。
スマホの電池切れが気になる性分でして。