鉄道の高架下をそのまま駅施設として利用することは、今では珍しいことではないが、かつての駅は独立した駅本屋を建てることが定石だったので、駅本屋を建てずに高架下に駅のすべての機能を収めることは斬新な発想であった。高架鉄道自体がまだ珍しい時代なので、適用例が少ないことは当然であったが、初期の高架鉄道でも中長距離列車の発着を考慮した烏森(新橋)駅や万世橋駅は、高架橋とは別に独立した駅本屋を設けた。
高架下を駅本屋に利用した最初の駅は、1910(明治43)年に開業した有楽町駅で、1919(大正8)年に開業した神田駅も、駅本屋は設けずにすべての駅機能を高架下に集約した。こうした発想のルーツは、ベルリンに建設されたフリードリッヒ・シュトラッセ駅などに求められるが、有楽町の高架線の基本設計は、来日したドイツ人技術者のフランツ・バルツァーが行っているので、この際にもたらされたことが推察される。
「高架鉄道神田駅」と題した絵葉書は、1919(大正8)年に東京~万世橋間の高架橋が完成して開業したばかりの神田駅の様子を示しており、プラットホームには中央本線の電車のみが発着している。プラットホームの全長にわたって屋根を架けた点が特徴で、ホームの両端に階段があって雨に濡れずに乗降することができた。高架下のコンコースの天井には採光のための天窓を設け、内装に白磁のタイルを使用するなどして、明るい構内とすることが心がけられた。
神田駅は、関東大震災で焼失し、構内もたびたびの改良工事で姿は変わってしまったが、今も駅本屋や駅ビルを併設しない高架下の駅として機能している。 (小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2013年11月号掲載)
Q&A
絵葉書の神田駅の横にある細長い空地は何ですか?
東京~上野間の高架線を建設するための用地です。神田駅開業の翌年の1910(大正9)年に着工して、1925(大正14)年に完成しました。東京~上野間の高架線の開業で、初めて山手線が環状運転を開始しました。(小野田滋)
”中央本線・神田駅(東京都千代田区)”番外編
神田駅は、駅の建物が無いんですけど、予算が足りなくてできなかったんですか?
何を言っておる。本文にも書いてあるが、神田駅は高架駅だから、駅本屋(えきほんや)の機能はすべて高架下におさめて駅本屋の無い駅を実現した。
「駅本屋」って駅ナカにある本屋さんのことですか?
鉄道業界では、駅の主要となる「駅舎」のことを「本屋」と呼んでいる。
書店じゃないんですね。
新米の駅員に「駅本屋に集合」と指示したら、駅前の本屋さんでいつまでも待っていたという笑い話もあるくらいだ。
駅本屋の無い駅は、神田駅が最初ですか?
最初に有楽町駅で実現して、神田駅は2番目だ。
神田駅は日本橋、有楽町駅は銀座の最寄駅なのに、今でも駅本屋が無いですよね。
実はこの考え方は、新幹線の駅にも継承されている。
そう言われると、新幹線の駅には駅本屋がないですね。
在来線と併設した駅には駅本屋や駅ビルがあるが、純粋な新幹線だけの駅にはそれがない。
つまり神田駅は新幹線駅の元祖みたいな駅ってことですか?
新幹線は長距離輸送だが、運行形態は通勤電車に近いから、お客さんを次から次へと運ぶという機能に徹している。
効率重視ですね。
そうなると、待合室のスペースは必要なくなるから駅もコンパクトになる。
コンパクトシティじゃなくて、コンパクトステーションってことですね。