ドボ鉄108三宮への進出

絵はがき:阪急電鉄神戸線・神戸三宮駅(神戸市中央区)


 1910(明治43)年、梅田~宝塚・箕面間を結んだ箕面有馬電気軌道を始祖とする現在の阪急電鉄は、さらに有馬をめざしたが、六甲山地の急峻な地形に阻まれ、計画を断念せざるを得なかった。また、当時の沿線は農村地帯であったため収益は上がらず、住宅地を開発し、宝塚少女歌劇(現在の宝塚歌劇団)を創設するなどの経営努力が続けられた。
 1918(大正7)年には社名を阪神急行電鉄に改称し、すでに沿線人口が稠密であった神戸方面への進出を本格化させ、1920(大正9)年には十三から分岐して神戸(上筒井)へ至る路線を開業させた。しかし、上筒井は中心地のはるか東側に位置していた。このため、さらに三宮をめざして追加の申請を行ったが神戸市会から地下線とするよう求められるなど、計画は頓挫した。
 その後、鉄道省が神戸市内の東海道本線を高架化することとなったため、地下線ではなく高架線として建設することを条件として認可を受け、西灘(現在の王子公園)~神戸(現在の神戸三宮)間に高架橋を建設して、1936(昭和11)年4月1日に開通した。高架橋の設計は、かつて鉄道院技師として東京~万世橋間の高架線の設計にあたった阿部美樹志で、鉄筋コンクリートラーメン高架橋を基本とし、主要道路との交差部に大径間の鉄筋コンクリートアーチ橋を設けた。
 また、ターミナルビルとして建設された神戸阪急ビルも阿部が設計を行い、三宮のランドマークとしてその偉容を誇ったが、1995(平成7)年1月に発生した阪神淡路大震災で被災し、解体されて姿を消した。その跡地には、近年、旧ビルのデザインをモチーフとした神戸三宮阪急ビルが建設され、2021(令和3)年4月にオープンした。 (小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2021年10月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

「主要道路との交差部に大径間の鉄筋コンクリートアーチ橋を設けた」とありますが、具体的にどのくらいの大きさだったんですか?

A

大径間の鉄筋コンクリートアーチ橋は3箇所にあって、王子公園方から中央径間32.5mの原田拱橋、中央径間25.0mの灘駅前拱橋、中央径間32.7mの灘拱橋が架かっています(「拱」は「アーチ」の意味を表す漢字で、解説はドボ鉄8回にあります)。鉄筋コンクリートアーチ橋は騒音も少なく、大径間で道路を跨ぐことのできる構造として採用されました。(小野田滋)


”阪急電鉄神戸線・神戸駅(神戸市中央区)”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

阿部美樹志さんは、高架橋もビルも設計していたんですか?

師匠

高架橋もビルもラーメン構造だから、設計の考え方はほぼ同じだ。

小鉄

たしかに壁や窓がなければ、ビルも高架橋と同じですね。

師匠

ビルの屋上に列車が走っているのが高架橋ということになる。

小鉄

高架橋は土木で、ビルは建築だから、土木と建築の二刀流ですね。

師匠

土木も建築も早い時期に専門分野が独立していたから、両方の分野で活躍した人は数少ない。

小鉄

阿部さんが土木と建築で活躍できた秘訣は何ですか?

師匠

阿部さんは鉄筋コンクリートが専門だったんだが、鉄筋コンクリート構造は土木でも建築でも使うし、得意のラーメン構造も共通している。

小鉄

つまり、鉄筋コンクリートの技術を身につけていたから、両方の分野で活躍できたんですね。

師匠

当時は、鉄筋コンクリートの普及期だったから、時代が求めていた技術者ということになるな。

小鉄

僕も何か得意分野を身につけて、二刀流になれるように頑張ります。

師匠

お前さんの場合は、「二兎を追う者は……」になりそうだから、とりあえずひとつに的を絞った方がいいぞ。

工事概要
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