橿原神宮前(かしはらじんぐうまえ)駅(ドボ鉄113回参照)に隣接する畝傍御陵前(うねびごりょうまえ)駅と橿原神宮西口駅は、橿原神宮前駅と同じ大和棟を用いた駅として同時期に完成し、規模は小さいものの橿原神宮前駅とほぼ同じスタイルを用いた。
このうち、畝傍御陵前駅は、総合駅となる前の橿原神宮前駅があった場所にあたり、神武天皇陵の最寄り駅となった。畝傍御陵前駅には、和歌山線の畝傍と橿原神宮前駅を結ぶ吉野鉄道小房(おうさ)線(大阪電気軌道への合併当初は吉野線の一部)が1928(昭和3)年に接続し、省線からの乗入れ列車が運転された。小房線の旅客営業は1945(昭和20)年に中止され、1952(昭和27)年に正式に廃止された。
橿原神宮前駅の基本設計は建築家の村野藤吾が手がけたが、具体的な設計と施工は大林組により行われた。おそらく、畝傍御陵前駅は橿原神宮西口駅とともに村野の原設計に基づいて大林組がアレンジしたことが推察されるが、具体的な記録は残っていない。
近鉄南大阪線にある橿原神宮西口駅は、橿原神宮裏参道のために大和池尻駅を改築して1940(昭和15)年に完成し、同時に駅名を橿原神宮西口に改称した。橿原神宮に面した北口に駅本屋を設けたが、小規模ながらも橿原神宮前駅や畝傍御陵前駅と同様に大和棟を基調とした。この駅舎は、1999(平成11)年から翌年にかけて、構内踏切の解消とバリアフリー化を目的として、地下自由通路の新設工事が行われた。
総合駅として完成した橿原神宮前駅は、大阪電気軌道橿原線の広軌線と、大阪電気軌道吉野線、大阪鉄道線の狭軌線が接続し、現在も橿原神宮前駅構内の一角に軌間変更設備を設けている。このため、構内の一角に狭軌と標準軌を併設した、珍しい4線軌条がある駅としても知られている。(小野田滋)(書下ろし)
Q&A
橿原神宮前駅にある台車振替場は、何のための施設ですか?
近鉄南大阪線と吉野線は狭軌線(軌間1,067mm)なのですが、所属車両の全般検査や改造工事を行うための工場(検修車庫)は標準軌線(軌間1,435mm)の大阪線・五位堂にあります。このため、橿原神宮前駅にある台車振替場で狭軌用の台車を外して標準軌用の仮台車に交換し、電動貨車の牽引によって回送します。台車振替場の庫内にはカーリフターがあり、左右両側から車体を持ち上げて車体と台車を切り離し、線路下の横溝(ピット)を利用して台車をトラバーサによって直角方向に隣の線へ抜き取ります。入れ替わりに標準軌の仮台車を装着し、隣の線に外した狭軌の台車は天井クレーンで持ち上げて電動貨車の荷台に載せ、仮台車を履いた車両を連結して約11km離れた五位堂まで回送されます。これらの一連の作業を行うため、台車振替場付近の線路には狭軌と標準軌が併設された珍しい4線軌条が存在します。(小野田滋)
”近畿日本鉄道橿原線・橿原神宮前駅/畝傍御陵前駅(奈良県橿原市)”番外編
今回は、橿原神宮前駅の続編ですね。
今回紹介するのは、その隣の駅の畝傍御陵前駅になる。
そっくりですね。
実は、その西隣の橿原神宮西口駅も同じスタイルだ。
あっ、ほんとだ。大きさは違いますけど、三兄弟ですね。
この3駅の駅本屋は、紀元2600年記念でほぼ同時に完成している。
つまり設計者が同じってことですか?
具体的な記録が残っていなので詳細は不明だが、村野藤吾の設計案を基にして大林組がアレンジしたようだ。
橿原神宮西口駅もこの時に完成したんですか?
橿原神宮西口駅は、もともと大和池尻という駅で、1940(昭和15)年に駅舎を改築して駅名も橿原神宮西口に改めた。
当時のままの姿ですか?
2000(平成12)年に駅を改造していて、木造の小屋組を残したまま1階部分を鉄骨造にしている。
ってことは、屋根はそのままなんですか?
ほぼそのままだが、10mほど曳家をして場所を移動した。
「ひきや」って何ですか?
文字通り、建物をそのままの状態で曳いて、移築する方法だ。
駅で使うこともあるんですか?
JRの奈良駅や南海の浜寺公園駅も曳家をして、古い建物を保存した。
曳家をすれば、古い建物をそのまま保存できるってことですね。
移動先の用地を確保することが必要で、規模が大きい建物には向かないという制約はあるが。
長い距離の移動も難しそうですね。
一般の住宅でも時々使われるぞ。
一度見てみたいですね。
YouTubeの動画にいくつか映像が紹介されているぞ。
さっそく見てみます。