東海道新幹線の終着駅である新大阪駅の新設にあたっては、①現大阪駅併設案、②東淀川駅付近案、③宮原操車場付近案、④梅田貨物駅併設案の4案を候補とし、市内連絡の利便性、在来線との乗換え、山陽新幹線への延長、用地確保の難易、工事期間の制約、工事費の多寡などを比較検討した結果、1960(昭和35)年1月には宮原操車場付近案とすることに決定した。
設計にあたっては、延伸を計画していた大阪市営地下鉄と高速道路(新御堂筋)との交差関係が課題となり、新幹線を3階として2階に広いコンコースを確保することにより、新幹線、在来線、地下鉄、駅前広場との連絡を容易にした。また、新駅の設置と同時に、新大阪駅周辺土地区画整理事業(大阪市)による駅周辺や駅前広場の整備が開始された。
工事は、駅全体を東部高架橋、中央部その1高架橋、中央部その2高架橋、西部高架橋に4分割し、1962(昭和37)年4月に鉄骨製作を開始し、1964(昭和39)年7月にすべての鉄骨の組立を完了した。駅前広場は、地表に駐車場とバス乗り場を設け、新幹線コンコース階(高架広場)にはランプによってタクシーや自家用車が乗り入れる構造とし、高架道路、高架広場、地平広場の動線は一方通行を原則とした。こうして、新大阪駅は、新幹線、在来線、地下鉄、道路との連絡を立体的に処理してそれぞれのスムーズな動線を確保し、新しい時代にふさわしいターミナル駅として1964(昭和39)年10月1日に開業した。
なお、docomomo (近代建築の記録と保存を目的とする国際学術組織/本部パリ)の日本支部では、2020(令和2)年度に「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」のひとつとして新大阪駅を選定した。
(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2023年7月号掲載)
Q&A
新幹線の駅の特徴は何ですか?
駅本屋(いわゆる駅舎、駅ビルなどの建築物)を建てず、駅に必要な施設をすべて高架下に収容した点に大きな特徴があります。こうした駅は、在来線の高架駅でも用いられ、1910(明治43)年に開業した有楽町駅がその元祖とされますが、新幹線ではこのスタイルを基本としました(在来線との併設駅では在来線側に駅ビルを設けた例があります)。新幹線は長距離列車ですが、高頻度・高密度輸送という特徴により、効率を重視する都市鉄道の駅とほぼ同じ設計思想で計画され、その設計思想はその後の新幹線駅にも継承されて現在に至っています。(小野田滋)
”東海道新幹線・新大阪駅(大阪市淀川区)”番外編
新大阪駅の平面計画図を見ると、新幹線のホームに平行して「京阪神急行電鉄」って書いてありますけど、こんな場所に阪急電車の駅がありましたっけ?
ああ、新大阪連絡線のことだな。
?
阪急電鉄は新大阪駅の開業にあわせて、淡路から新大阪を経由して十三を結ぶ連絡線を計画したが実現しなかった。
計画があった痕跡は何か残っているんですか?
新大阪駅の東京寄りの高架橋に、淡路方面からの阪急電車がくぐる予定だった場所がある。名称はズバリ「京阪神急行線線路橋」だ。
この写真がその場所ですね。でもどこにでもある普通の高架橋ですよ。
よく見ると気がつくぞ。
?
高架橋の橋脚がここだけ斜めに配置されている。
あっ、ほんとだ!すぐにでも鉄道を通せそうですね。
ところが、淡路~新大阪間の事業認可は2002(平成14)年に廃止してしまった。
もったいなかったですね。
しかし新大阪~十三間の免許はまだ有効で、実際に路線を延伸する計画も進められている。
十三側にもくぐる予定の場所があるんですか?
宮原の車両基地の西端あたりに能勢街道踏切という北方(ほっぽう)貨物線の踏切があって、その西側に野中線路橋という山陽新幹線の構造物がある。
「線路橋」ということは、そこでくぐる予定ってことですか?
新大阪駅の新神戸方は、新幹線の高架橋に沿ってその北側に細長い用地が確保されているから、それを追っていけばくぐる場所もすぐにわかるぞ。
都会の未成線は珍しいですね。
似たような例は、大阪環状線の桜ノ宮駅にもあって……
師匠のウンチクが長くなりそうなので、またの機会ということで。