本州四国連絡橋の建設は、1970(昭和45)年に本州四国連絡橋公団が設立されて本格化し、神戸・鳴門ルート、児島・坂出ルート、尾道・今治ルートの3ルートで瀬戸内海を渡ることとなった。このうち、児島・坂出ルートは、道路と鉄道の併用橋として建設され、宇高連絡船に代わって、宇野線の茶屋町から分岐して予讃線の宇多津へ至る本四備讃線の建設が開始された。
四国方は、予讃線と接続して高松方面と松山・高知方面に分岐するため、いわゆるデルタ線を構成することとなった。「宇多津地区で建設中の本四備讃線」と題した絵葉書は、1986(昭和61)年に国鉄建設局が発行した「土木学会表彰受賞記念絵葉書」の一枚で、当時の建設状況を示している。本四連絡橋はほぼ完成しているが、与島以南の北備讃瀬戸大橋と南備讃瀬戸大橋はまだ閉合しておらず、手前のデルタ線を構成する高架橋も大東川橋梁などいくつかの橋梁が未完成である。写真右側に伸びる高架橋が高松方面への連絡線、写真左側に伸びる高架橋が丸亀方面への連絡線で、手前の高架橋は予讃線の新線である。
変形量の大きい長大吊橋や斜張橋に列車を走らせることは未経験で、たわみによって生じる角折れや、温度変化による伸縮を考慮した「緩衝桁軌道伸縮装置」を開発することによってこれを克服した。本四備讃線の完成は、国鉄分割・民営化の約1年後となり、1988(昭和63)年4月10日に開業して、宇高連絡船は廃止された。香川県坂出市の瀬戸大橋記念公園には、瀬戸大橋記念館や本四連絡橋を一望できる高さ108mの瀬戸大橋タワーがあり、野外の展示広場には、瀬戸大橋のメインケーブル、架設工事に用いられた建設機械などが展示されている。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2024年9月号掲載)
Q&A
瀬戸大橋記念館にある銅像は誰ですか?
瀬戸内海に橋を架けることを最初に提唱した大久保諶之丞(おおくぼ・じんのじょう:1849~1891)の全身像と、本州四国連絡橋公団の坂出工事事務所初代所長だった杉田秀夫(すぎた・ひでお:1931~1993)の胸像です。大久保諶之丞は県会議員で、1889(明治22)年5月23日の讃岐鉄道開通式で、「塩飽諸島を橋台となし、山陽鉄道に架橋連結せしめなば、常に風波の憂ひなく、午後に浦戸の釣を垂れ、夕に敦賀の納涼を得ん。」と瀬戸内海に架橋する構想を提唱しました。この演説は、瀬戸内海に架橋することを公言した最初とされ、1883(明治16)年に完成したニューヨークのブルックリン橋に影響を受けたとする説もあります。杉田秀夫は土木技術者で、日本国有鉄道から日本鉄道建設公団を経て本州四国連絡橋公団へ移り、初代坂出工事事務所長としてBB7Aアンカレイジの建設などを指揮しました。潜水士の免許を取得して自ら海へ潜り、基礎岩盤を確認するなど、その行動力は多くの人々から敬慕されました。(小野田滋)
”予讃線・坂出~宇多津間(香川県綾歌郡宇多津町)”番外編
師匠。よく考えたら、鉄道の吊橋ってあまり見ないですけれど、何か理由があるんですか?
時々、イラストなどで吊橋を渡る蒸気機関車が描かれたりしているが、現実にはあり得ない風景だ。
吊橋と鉄道は相性が悪いってことですか?
その通り。吊橋は荷重を載せたときの変形量が大きいから、ミリ単位でレールを管理している鉄道を通過させることは難しい。
でも本四連絡橋では実現したんですよね。
その工夫が緩衝桁軌道伸縮装置だ。
写真だけではよくわかりませんけど。
吊橋は温度の伸縮や荷重によるたわみで大きく変形する。
たしかに、吊橋を渡る時は、グラグラ揺れますよね。
特に吊橋の端部は角折れという変形や大きな伸縮が生じるから、その変形を分散したり伸縮を吸収して、列車が安全に通過できるように開発された特殊な桁が緩衝桁軌道伸縮装置だ。
写真で紹介されている「BB7A躯体竣工記念碑」って、何の記念碑ですか?
南備讃瀬戸大橋の南側アンカレイジの記念碑だ。碑文によれば、当時の世界最大のコンクリート構造物で、その最終コンクリートを用いて記念碑を建てたそうだ。
アンカレイジって何ですか?
吊橋のケーブルを固定するための巨大なブロックのことだ。
このコンクリートの塊ですね。「BB7A」は何の意味ですか?
瀬戸大橋では、下津井瀬戸大橋を「SB」、櫃石島橋を「HB」、与島橋を「YB」とイニシャルに基づく略号で表し、北備讃瀬戸大橋は「NBB」、北備讃瀬戸大橋は「SBB」と称した。
でも「BB」ですよ。
北備讃瀬戸大橋と南備讃瀬戸大橋は連続して架けられたこともあって、図にあるように下部構造は橋台と橋脚をまとめて、岡山方から1~7の番号を続けて付けて、橋の略号も「BB」のみとした。
わかった!「A」はアンカレイジの略ですね。
よく気がついたな。瀬戸大橋タワーの展望室から、BB7Aアンカレイジがよく見えるぞ。
BB7Aの記念碑はどこにあるんですか?
BB7Aアンカレイジの西側にある 沙弥ナカンダ浜という浜辺に、ひっそりと建っている。
瀬戸大橋記念公園のあたりは、ドボ博的な見所が多くて、満腹ですね。
うどんと骨付き鶏だけじゃないぞ。