ドボ鉄172駅前広場の進化

絵はがき:新宿駅西口広場(東京都新宿区)


 新宿駅は、1885(明治18)年に日本鉄道品川線(のちに国有化され現在の山手線の前身)の駅として開設し、1889(明治22)年には甲武鉄道新八線(のちに国有化され現在の中央本線新宿~八王子間の前身)の起点駅となった。その後、私鉄各社が接続してターミナルとして機能するようになり、さらに自動車交通の普及とともにバスやタクシーが乗り入れ、駅の周辺には繁華街が形成された。
 開業時の新宿駅は、東京府の郡部(南豊島郡)であったが、1932(昭和7)年の市域拡大によって東京市に編入され、淀橋区が誕生した(のち四谷区、牛込区と合併して現在の新宿区となる)。東京の都市計画を審議していた都市計画東京地方委員会では、交通の結節点として発展が著しいターミナル駅について駅前広場を整備することとし、その最初の計画として1934(昭和9)年に新宿駅広場の整備計画が告示された。計画では、専売局淀橋煙草製造所の跡地を再開発して西口に駅前広場を設けることとし、地下鉄や東横電鉄(当時は東横線の支線が計画されていた)の乗り入れなどが考慮された。
 駅前広場の計画は戦後も継承され、京王電鉄や小田急電鉄の新宿駅整備、小田急百貨店や京王百貨店の開店、地下鉄丸ノ内線の開業などが行われた。駅前広場も、1966(昭和41)年に坂倉建築研究所の設計による地下広場と、地上と地下を結ぶ中央開口ランプウェイが完成し、今回紹介する絵葉書にもその姿がおさめられた。この地下広場では、1969(昭和44)年春にフォークゲリラ集会が行われ、学生運動が一大ムーブメントとなった時代を象徴する場所となった。
 新宿駅西口は、ほどなく淀橋浄水場跡地の再開発が始まり、1971(昭和46)年に完成した京王プラザホテルを皮切りに高層ビル群が林立し、1991(平成3)年には都庁も移転して副都心としての姿を整えた。新宿駅は、都市計画に基づく駅前広場のさきがけとなったが、その進化はとどまるところを知らず、今も再開発事業が進められている。(小野田滋)(書き下ろし)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

ランプウェイは何のことですか?

A

ランプウェイ(Rampway)は「斜路」という意味です。新宿駅西口では、地上広場と地下広場を結ぶ役割果たしていて、この部分を開口部としたため「中央開口ランプウェイ」と呼ばれました。高架の高速道路と地平の一般道を結ぶ出入口などのことを「○○ランプ」と呼んでいます。新宿駅西口のそれはしばしばロータリーと間違われますが、ロータリーは同一平面で周回するのみで、上下の移動はできません。(小野田滋)


”新宿駅西口広場(東京都新宿区)”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

淀橋区って、ヨドバシカメラと関係あるんですか?

師匠

今の西新宿あたりは、かつて淀橋、角筈(つのはず)と呼ばれていたが、淀橋浄水場の移転や再開発などで「西新宿」という地名に改称した。ヨドバシカメラの社名は、新宿西口本店のある淀橋に由来している。

小鉄

CMソングも「新宿西口駅前に~♪」ですよね。

師匠

地名としての淀橋は消滅してしまったので、今ではヨドバシカメラや地元の小学校などにその名が残るだけになってしまった。

小鉄

今の都庁のあたりは淀橋浄水場だったんですね。

師匠

今では敷地の輪郭が残る程度で全く面影はないが、1960(昭和35)年に東村山浄水場が完成したため、淀橋浄水場の機能はそちらに移転して、1965(昭和40)年に廃止された。

小鉄

戦前の西口駅前広場計画も専売局のタバコ製造工場の跡地を利用したそうですから、歴史は繰り返すんですね。

師匠

まとまった面積の用地は、何らかの理由がある場所だから、その由来を深掘りすると都市の歴史が見えてくるぞ。

小鉄

東京のまとまった土地は、だいたい江戸時代の大名屋敷にたどり着くって聞いたことがあります。

師匠

都市は、土地を再生させながら発達してきたから、いろいろな時代の遺産が重なり合っていることになる。

小鉄

師匠も、たまには良いことを言いますね。

師匠

「たまには」は余計だ💢

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