四国インフラ010 徳島・小松島港

2つだった<心臓>を1つにした港


徳島の海岸沿いは、実に多種多様である。北部は吉野川那賀川といった大小様々な河川が海へと流れ込み、埋め立てによって拡大した都市や港湾が広がる。南部では崎や鼻といった地名が多いリアス式海岸で、僅かな平地に町がある。南部の海岸沿いについては、一例として美波町の町並みを取り上げているので、そちらを読んでいただきたい。ここでは北部、特に徳島市周辺の海岸沿いに着目してみたい。

徳島市の中心部には多くの川が流れていて、かつては徳島城の濠としても機能していた。また、川岸には藍蔵が立ち並び、流通の拠点でもあった。近代化が進むにつれ、徐々に川や濠は埋め立てられ、市街地が形成されていく。同時に、流通の拠点となる港湾機能も同時に海へと移動した結果、沖洲村に物流と航路を備えた沖洲港、津田浦に貯木楊を備えた津田港がつくられ、2港をあわせた徳島港が形成されていった。また、吉野川改修事業とともに今切川・旧吉野川河口周辺も埋め立てや市街地開発が進むと同時に、徳島空港の前身にあたる徳島海軍航空隊が昭和17(1942)年に松茂町につくられた。

一方、那賀川や勝浦川を利用して運ばれてきた木材などは、小松島市や阿南市の河口に集められた。特に小松島港には本州との連絡航路が就航していたこともあり、国鉄の小松島線も大正2(1913)年に開業するなど、徳島港と共に2大港湾として、徳島の物流を支えてきた。この小松島線は延長1.9kmと日本で一番短い路線として有名であったが昭和60(1985)年には廃止され、今は遊歩道として市民の憩いの場になっている。

その後2つの港湾は「徳島・小松島港」となり、四国と関西圏を結ぶ海上交通の重要拠点として機能している。近年では物流機能に加え、万代中央ふ頭の再開発や赤石埠頭におけるクルーズ客船の就航など、交流機能も強化されつつある。かつて2つだった港という<心臓>は、1つの港として機能を強化させながら、徳島の暮らしを支えている。(尾野)

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参考文献

広井勇:日本築港史,丸善,1927.

種別 港湾
所在地 徳島県徳島市 小松島市
備考 万代中央ふ頭:手づくり郷土賞グランプリ2017 大賞部門 グランプリ授賞(国土交通省)
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