四国インフラ057 松山城公園
松山市は、松山城を中心にして街が形成されている。街の中心に据わる松山城の雄姿はランドマークのみならず愛着と誇りをもって語られている。慶長7(1602)年、この地に加藤嘉明が築城を開始し、蒲生忠知、松平定行へと治政が移るな […] ...
四国インフラ056 花園町通り
松山の生んだ文学人、正岡子規は、松山藩士正岡常尚の長男として、現在の花園町通り西側(松山市新玉町)に生まれた。しかし、生誕の地について知る人はあまりおらず、この地に建てられた子規生誕の地の石碑の周りには、放置駐輪が取り囲 […] ...
四国インフラ055 伊予鉄道
伊予鉄道は、四国初の鉄道として明治21(1888)年に開通し、現在も松山市民の足として暮らしを支えている。創業者であり、初代社長の元松山藩士小林信近は、鉄道事業以外にも、陶器製造業や松山米商会、第五十二国立銀行(現伊予銀 […] ...
四国インフラ054 石手川橋梁
伊予鉄道横河原線の石手川公園駅は、全国数少ない川の上に設置された駅で、片側にはプラットホーム、その反対側には歩道が設置されており、明治26(1893)年に建設され、「鉄の橋百選」や「土木遺産」に選定されている。現役の鉄道 […] ...
四国インフラ053 重信川
松山平野には、愛媛県高縄山系の三方ヶ森付近を源流とする石手川と、愛媛県東温市の東三方ヶ森を源流とする重信川の2つの河川があり、松山中央公園付近(松山城より南)で合流し、松山空港南の伊予灘に注いでいる。この松山平野の<背骨 […] ...
四国インフラ052 長浜大橋
長浜大橋は肱川の河口にかかる橋長232.3m、幅5.5m、5つのトラス橋と2つの桁橋からなる7径間の橋で、中央部の桁橋のひとつが開閉する。肱川の水運が活発に利用されていた時代、自動車と船の行き来を両立するため可動橋が架け […] ...
四国インフラ050 内子
「ゆらり」と燭台のうえで踊る小さな灯り。内子の重厚な家屋に小さく温かい灯りのダンスはよく似合う。 電気のない時代、蝋燭は貴重な光源であり、質の高い蝋燭には大きな需要があった。そこに商機を見出した芳我孝芳は、江戸時代末期、 […] ...
四国インフラ049 臥龍山荘
明治時代、肱川は木蝋や生糸を舟運にて運ぶ一大物流路であった。肱川が流れる大洲出身の豪商川内寅次郎は、こうした舟運を利用した貿易業で成功し、肱川流域屈指の名勝地とされた「臥龍」と呼ばれる土地を購入、大洲の棟梁・中野虎雄と京 […] ...
四国インフラ048 肱川
肱川は、流域の大部分が山地で占められているにも関わらず、河床勾配はゆるやかで、その水量は豊富である。そのため愛媛県内における最も重要な物資を輸送する<血管>のひとつとして機能していた。 明治から大正にかけて肱川には大小あ […] ...
四国インフラ047 日土小学校
愛媛県八幡浜市の中心部から山あいに入って喜木川を少し上ると、川沿いに端正な姿の校舎が目に入る。八幡浜市立日土小学校は、同市に勤務していた松村正恒(1913-1993)の設計で、中校舎が昭和31(1956)年、東校舎が昭和 […] ...