かつての<左脳>徳島城は、助任川や寺島川に囲まれた謂山(城山)に築かれていた。版籍奉還後、城からほど近い旧藩の南浜屋敷(現・新蔵町二丁目付近)に徳島藩庁舎が置かれ、廃藩置県直後はそのまま県庁舎になった。だが約5か月後の明治4(1871)年、その役目は寺島川沿いの旧家老、賀島家の屋敷(現・市役所の地)に移され、それから約60年間、近代徳島の発展を共にすることになった。
県庁舎が新町川の河口、機帆船で賑わう富田港に移転したのは昭和5(1927)年。旧国技館等を手がけた東京帝国大学出身の建築構造学者、佐野利器(1880~1956)の監修。日本の鉄筋コンクリート建築としては初期の作品であり、徳島大空襲の戦火を耐えた数少ない建造物でもあった。昭和61(1986)年に現在の県庁舎が完成するまでその威容を誇る佇まいを見せていた。現在、旧県庁舎の一部は文化の森総合公園内に移築、復元され、徳島県立文書館として使用されている。一方、寺島川沿いの県庁舎跡地は徳島市に売却され、裁判所北側から市庁舎が移転。現在の市庁舎は昭和後期に建て替えられたものである。
では<右脳>はどこか。富田港から新町川を遡ると、かつて両国橋北側界隈は劇場や映画館が集まる歓楽街であった。川の南側にも劇場あり、江戸時代からの花街もあり、更に南には名東県時代(1871-1876)にできた遊郭もあり、<右脳>の中枢を担う地域であった。現在でも両国橋南側を中心に、繁華街は賑わいを見せている。
こうして見てみると、徳島の<右脳><左脳>の位置は、今も昔も大きくは変わっていない。<左脳>は城山から東側の河口寄りに、<右脳>は新町川付近とその南側に位置し、徳島のまちを動かし続けている。(板東)
参考文献
徳島県立文書館編:開館記念展 徳島県の成立-藩から県へ-,徳島県立文書館,1990.
徳島県立文書館編:第5回展示 県庁の変遷,徳島県立文書館,1992.
種別 | 都市 |
所在地 | 徳島県徳島市 |