松山の城といえば、松山城を思い浮かべる人が多いだろう。実はもう一つ、松山城と共に日本百名城にも選定されている湯築城がある。湯築城は、中世の伊予国の守護であった河野氏が居城としており、南北朝期から戦国期の間、伊予国の<脳>的な働きを担ってきた。慶長7(1602)年、加藤嘉明による松山城築城の際に、湯築城の資材などが再利用され、この働きも南西に位置する松山城へと移った。
かつての都市の<脳>とも言える湯築城跡は、道後温泉の外湯や公民館的な施設、動物園、史跡、博物館、道後公園として整備されるなど、時代とともに様々な公園利用がなされてきた。道後温泉本館周辺の華やかで賑やかな空間とは異なり、野鳥なども集う自然豊かな公園として市民や観光客に親しまれており、今もなお松山という都市に「酸素」を供給し続けている。(片岡)