四国インフラ006 眉山

賑わう場所から眺めるものへ


まちの中心部に位置する眉山は、まちなかの至るところから眺めることができ、徳島市のシンボルとして市民に親しまれている<呼吸器>だ。北麓からはロープウェイで、南麓からはパークウェイで山頂までつながっている。山頂には公園が整備され、展望台からは徳島の<右脳><左脳>や、かつての<心臓>である川ネットワークを見渡すことができる。

かつて山頂は聖域とされ、人が気軽に立ち入る場所ではなかった。一方、眉山中腹の大滝山には三重塔や料亭、茶屋が建ち並び、お座敷に呼ばれた芸者さんの往来がある華やかな場所であった。だが、藍染めの染料となる阿波藍が安価で良品なインド藍の輸入等により衰退し始めると、大滝山を利用する商人も減り、賑わいも衰退していった。

そんな明治44(1911)年、新町で酒屋を営んでいた天野亀吉が眉山公園開発を提唱。大正2(1913)年には天野を会長とした「眉山公園保勝会」が設立。民間の開発によって、大滝山だけでなく眉山中腹一帯に遊歩道が整備された。道沿いに植えられた桜が咲き誇る季節には、県下一の人出があったと言われ、市民に開かれた公園として親しまれるようになっていった。昭和の初めになると、眉山は阿波踊りとセットで県外に大きく宣伝され、観光資源として注目を集める。戦後は山頂を中心とした施設整備が進み、昭和26(1951)年に中腹までのドライブウェイ、昭和30(1955)年に山頂までのロープウェイ、昭和45(1970)年に山頂までのパークウェイ、昭和45(1970)年と昭和48(1973)年には山頂に宿泊施設が開業し、眉山は観光施設となった。

時代の移り変わりと共にその息遣いを変えながらも、眉山は徳島のまちを今日も見守り続けている。(板東)

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参考文献

板東ゆかり,真田純子:眉山の捉え方の変遷に関する研究-関わる人と利用の変化,土木史研究 講演集,31,171-181,2011.

種別 公園
所在地 徳島県徳島市
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