自動車産業

Automotive Manufacturing

近代的な自動車産業の誕生は、昭和初期である。その後、幾多の試練を乗越え、世界有数の自動車生産国となった。その発展は、東京・大阪の間に位置した中部圏で先進的に計画された、道路・港湾などのインフラ整備によって支えられた。

名古屋港、三河港などの港湾は、自動車産業の流通拠点として整備拡大された。同時に名神・東名の高速道路をはじめとするバイパス道路整備は、製品の輸送だけでなく、マイカー需要を喚起した。その後、自動車需要に伴う公害やエネルギー事情から、厳しい排出ガス規制適応車や低燃費車が開発され、世界を牽引する産業へと成長したのである。

日本の自動車の創世は、明治34年に横浜の外国系商社による蒸気自動車の輸入・販売活動という。明治36年8月には、自動車利用の取締関係法として愛知県で「乗合自動車営業取締規則」が制定されていたので、わすか数年で、人や物の輸送を業とする者が各地に存在していた。だが、昭和30年代に至るまで陸上交通の主役は鉄道であった。

今や自動車産業は、戦後復興と幾多の試練を乗越え、世界有数の自動車生産国となっている。この発展は、自動車メーカーとこれに関わる先人達の努力の結果によるものだが、一方で産業を裏で支えるインフラ整備や果たした役割は大きい。

1956年、世界銀行からワトキンス調査団を招聘してわずか3ヶ月で作成された報告書をもとに道路整備が推進されていく。調査結果の冒頭、「日本の道路は信じがたい程に悪い。」が金言となり、名神、東名などの高速道路をはじめ国道バイパスなど中部圏の道路が率先して整備された。同時に名古屋港、三河港、四日市港などの港湾が整備拡大し、中部圏を結ぶ移出入と世界各国の輸出入の拠点となった。

国内の道路整備は、経済の高度成長とともに自動車需要を喚起し、産業用トラックから生活用のマイカー普及に結びついていった。そして国内メーカーは、公害やエネルギー事情から厳しい排出ガス規制適応車や低燃費車を開発し、これらの技術を糧に世界を牽引する産業へと成長した。