ドボ鉄040有明線の建設と初めてのポンツーン工法

絵はがき:有明線線路平面図(佐賀県・長崎県)/長崎本線・六角川橋梁(佐賀県)


●有明線の建設
 博多方面から長崎方面へ至るルートは、九州鉄道によって開設され、1898(明治31)年に鳥栖~長崎(現在の浦上)間が全通した。その経由地は、早岐、大村、諫早を経由し、長崎へと至るルートで、1907(明治40)年の九州鉄道の国有化によって、現在の長崎本線鳥栖~肥前山口間、佐世保線、大村線へと継承された。
 その後、1922(大正11)年に公布された改正鉄道敷設法の別表第114号として肥前山口~諫早間の新線計画が決定し、有明線という建設線名称で、1926(大正15)年に着工した。工事は、鉄道省熊本建設事務所が監理し、延長60.8kmを9工区に分割した。
 今回紹介する絵図は、肥前山口~肥前竜王間が開業した1930(昭和5)年3月9日に、鉄道省熊本建設事務所が発行した記念絵葉書のうち、絵葉書の包装紙に描かれた解説図で、有明線の路線図のほか「建設工事概要」と題して肥前山口~肥前竜王間の概要や沿線の名勝、特産品などが紹介されている。
 肥前竜王から先は「未着手線」として破線で描かれており、有明海の海岸沿いに諫早をめざしたことが理解できる。この区間が完成して、肥前山口~諫早が全線開業するのは1934(昭和9)年12月1日のことで、有明線は長崎本線となり、諫早経由のルートは佐世保線と大村線に改称して現在に至っている。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2018年9月号掲載)
 
●六角川橋梁の架設と初めてのポンツーン工法
 ポンツーン工法は、橋梁を架設するための施工法の一種で、橋梁の片側を台船(ポンツーン)で支えながら送り出し、潮の干満差を利用して据付ける。このため、足場を組立てることなく短時間で容易に橋梁を架設することが可能となるが、干満の時間差を利用するため、タイミングを選んで要領よく作業を進める必要があり、作業時間帯が制限された。また、天候(風や波浪)の影響を受けやすいなど適用条件に制約があるため、干満差が生じる穏やかな沿岸部の架設工事のみで用いられた。
 有明海の沿岸は、日本で最も干満差が大きい地域として知られており、ポンツーン工法を用いるには最適な条件であった。長崎本線(建設線名称は「有明線」)の肥前山口~肥前白石間に架設された六角川橋梁は、1929(昭和4)年にわが国で最初にポンツーン架設を適用した鉄道橋となった。六角川橋梁の第4径間に用いられた支間154フィート(46.9m)の単線下路プラットトラスは、1928(昭和3)年に川崎車輌で製造され、現地で組立ててトロリーで徐々に縦取りし、片側を台船に預けた後に反対側の橋脚まで送り出し、干潮時を利用して据付けた。
 「有明線肥前山口肥前竜王間鉄道開通記念絵葉書」には「六角川架桁工事」と題した架設時の写真が収録され、トラスの片側を台船に載せて送り出されつつある様子が記録された。夏季の架設であったため、日傘を差した着物姿の御婦人方をはじめ、麦藁帽子やカンカン帽を被った人々など多くの見物人が現場の周囲に集まっており、架設工事が地域の一大イベントであったことが理解できる。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2018年10月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

路線を短絡して到達時間を短縮することは、よく行われるのですか?

A

明治時代は鉄道技術が未熟だったので、長いトンネルを建設することが難しく、山岳地を迂回するようなルートを選んでいました。また、到達時間や牽引両数はあまり重視されなかったので、急曲線や急勾配が用いられました。このため、大正時代になると別線を建設して、路線を短絡し、到達時間を短縮したり、急勾配を解消することが計画されました。ちなみに、有明線が全通した日には、東海道本線の丹那トンネルが完成して国府津~沼津間の旧線が現在の御殿場線となったほか、山陽本線でも岩国~櫛ケ浜間の新線が開業し(新線が山陽本線となり、海岸沿いの旧山陽本線は柳井線と改称したが、複線化によって山陽本線に戻り、新線は岩徳線となった)、各地の短絡線ルートが一挙に完成した記念すべき日となりました。(小野田滋)


”長崎本線・六角川橋梁(佐賀県)”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

それにしても、すごい数の見物人ですね。

師匠

鉄道が開業する前だから、現場へ見に行くだけでも大変だったと思うぞ。

小鉄

まさにイベントですね。

師匠

何しろ、鉄道では日本最初の施工法だから、工事の関係者でなくても珍しかったんだろう。

小鉄

そんなに珍しいんですか?

師匠

満潮と干潮の干満差を利用するから、河口付近の橋梁工事でしか使えない。

小鉄

たしかに、川の上流では使えませんね。

師匠

しかも有明海の沿岸は、日本有数の干満差のある地域として知られている。

小鉄

工事の担当者も、「ここならできる」と思って、試したんでしょうね。

師匠

自然の力をうまく利用したということだな。

小鉄

六角川橋梁の後も、どこかで使ったんですか?

師匠

昭和戦前の時代では、同じ有明線の塩田川橋梁や、羽幌線の天塩川橋梁、佐賀線の筑後川橋梁などで用いられたくらいだ。

小鉄

あっ、天塩川橋梁は、「ドボ博・川展」の「日本河川風景二十区分・北海道主部」でも紹介されていましたよ。

師匠

そう言えば「川展」の担当者から、「鉄道目線の川番付」を考えてくれという依頼があったから、よろしく頼むぞ。

小鉄

師匠の力をうまく利用して頑張ります。

有明線有明線古写真六角川橋梁
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