山陽本線の倉敷を起点として、高梁川をさかのぼり、新見を経て山陰本線の伯耆大山を結ぶ伯備線は、陰陽連絡鉄道として1928(昭和3)年10月25日に全通した延長139.6km(開業時)の路線である。工事は伯耆大山~新見間を伯備北線、倉敷~新見間を伯備南線として南北から建設を進めた。
「伯備南線足見橋梁」と題した絵葉書は、伯備線全通記念絵葉書として、建設にあたった鉄道省岡山建設事務所によって発行されたうちの一枚で、井倉~石蟹間の高梁川沿いに架設された足見橋梁と、帆を広げて高梁川に浮かぶ高瀬舟の姿がおさめられた。足見橋梁は、径間30フィート(9.1m)の上路プレートガーダ×17連で構成される延長574フィート(175.0m)の橋梁として完成した。井倉~新見間の伯備南線第8工区は、伯備線の最終工区として1926(大正15)年に着工し、1928(昭和3)年に竣功した。
伯備線は、山陽新幹線の開業とともに山陰方面と連絡する重要線区として位置付けられ、電化や一部区間の複線化が行われることとなった。井倉~石蟹間は急曲線が連続し、1972(昭和47)年の大雨では線路が浸水するなどの被害を受けたため、別線に線路を付替えて路線を短絡し、併せて一部を複線化することとした。工事は、1972(昭和47)年に着工し、足見橋梁を含む高梁川沿いの路線は1978(昭和53)年10月28日に新線に切替えられて廃止となった。
廃線跡は、自転車歩行者道として整備され、足見橋梁の桁も床版を新設した程度でそのまま再利用された。井倉~石蟹間の線増工事は、残る井倉駅構内の扛上(こうじょう)工事と防災工事として行われた第8高梁川橋梁の別線改良工事が進められ、1983(昭和58)年7月26日に全ての区間が新線に切替えられた(井倉駅構内の改良工事は1986(昭和60)年11月に完了)。これらの一連の工事によって、井倉~石蟹間の駅間距離は延長5.6kmから4.5kmとなり、1.1kmが短縮された(営業キロ程ではなく工事キロ程に基づく)。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2019年11月号掲載)
Q&A
鉄道の廃線跡を歩行者道や自転車道として活用している場所は、ほかにもあるんですか?
全国各地にあります。単線鉄道の路盤の幅は、自動車が1台通れる程度の幅しかないので、自動車道路として再利用する場合は、信号を設けて片側通行としたり、トンネルの断面を広げるなどの対策が必要になります。対策を最小限にとどめて再利用する方法としては、歩行者道や自転車道として使うのが一般的ですが、その場合でも橋梁の部分を道路化して柵を設置したり、路面に簡易舗装を行うなどの追加工事が必要になります。鉄道の曲線や勾配は一般の道路に比べて緩いので、自転車で走るためにはほど良い線形で、心地よいサイクリングを楽しむことができます。(小野田滋)
”伯備線・足見(たるみ)橋梁(岡山県新見市)”番外編
線路の付替えって、時々あるんですか?
規模の小さいものから、大きいものまでいろいろとある。
どんな理由で付替えるんですか?
それも、いろいろあるな。
「いろいろ」だけじゃわかりませんよ。
ドボ鉄でも、いろいろ紹介済みだぞ。
あっ、関西本線の亀ノ瀬トンネル(ドボ鉄062)がそうでしたね。
あれは、地すべりが発生したために付替えた。
飯田線もそうですね。
飯田線は、佐久間ダムの建設(ドボ鉄072)がその理由だな。
ってことは、線路を付替えた理由を調べると、土木の歴史もわかるってことですね。
亀ノ瀬トンネルや飯田線は規模の大きな工事だが、橋の架替えやトンネルの付替えなど、一部の区間だけを付替えることもあるから、注意していないと見逃すことになるぞ。
今回の伯備線は、廃線跡が再利用されているから、わかりやすいですね。
鉄道は緩い曲線が特徴だから、コツを覚えると地図を見ただけでも何となく廃線跡だと気付くようになれるぞ。
あっ、確かに地図で廃線跡の曲線をたどると、今の線路とうまくつながってますね。
その面白さがわかると、地図を見る楽しみがひとつ増えることになる。
現場に行かなくても、廃線跡がわかるってことですね。
だが、地図だけでは具体的な状況はわからないから、現地に行って確認することが肝心だ。
つまり状況証拠だけじゃダメってことですね。
「現場百遍」の精神だ。
デカ長、任せてください。