ドボ鉄077梅鉢鉄工場製の亘線付交叉

絵はがき:梅鉢工場製作(堺市堺区)


 「亘線(わたりせん)付交叉(こうさ)」とは「スリップスイッチ」のことで、かつてシングルスリップスイッチのことを片側亘線付交叉、ダブルスリップスイッチのことを両側亘線付交叉と称し、現在では「渡り線付交差」と表される。
 「梅鉢(うめばち)工場製作」と題した絵葉書では、梅鉢鉄工場で製造された片側亘線付交叉が紹介され、宣伝用として配られた絵葉書の1枚と推察される。亘線付交叉の標準設計は、鉄道国有化直後の1910(明治43)年6月17日付総裁達第528号で60ポンド第三種レールを用いた9番片側亘線付交叉と両側亘線付交叉が「定規」として定められたのが最初で、続いて同年12月23日付総裁達第1058号で75ポンドレールを用いた9番両側亘線付交叉、1911(明治44)年3月31日付総裁達第234号で75ポンドレールを用いた9番片側亘線付交叉の定規が制定された。これらの標準設計は、1925(大正14)年のいわゆる「大正14年形」の制定まで用いられたが、この際に中間轍叉を可動式に改良したので、写真の片側亘線付交叉は旧設計と推察される。
 梅鉢鉄工場(または鉄工所)は、大阪府堺市で冶金業を営んでいた梅鉢安太郎(1866~1942) によって、1890(明治23)年頃に設立され、鉄道車両や転轍機、轍叉、信号機、鉄桁など、鉄道関連資材の製造にあたった。のちに京成電気軌道(現在の京成電鉄)の傘下となり、1941(昭和16)年には帝国車輛工業に改称した。1968(昭和43)年に東急車輛製造と合併して同社大阪製作所となったのち、2003(平成15)年に和歌山県紀の川市に移転した。東急車輛製造は新東急車輛を経て2012(平成24)年にJR東日本総合車両製作所となったため、同社和歌山事業所となり現在に至っている。なお、軌道関係部品の製造からは2019(平成31)年に撤退し、現在では鉄道用コンテナの製造にあたっている。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2020年11月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

スリップスイッチは、どんな特徴のある分岐器(ぶんぎき)ですか?

A

スリップスイッチとは特殊分岐器の一種で、ダイヤモンドクロッシングと渡り線(「亘線」とも)を組み合わせて一体化した分岐器のことです。ダイヤモンドクロッシングの左右どちらか片側だけに渡り線がある場合をシングルスリップスイッチ(片側亘線付交叉)、左右のどちらにも渡り線がある場合をダブルスリップスイッチ(両側亘線付交叉)と呼んでいます。少ない面積で多方向の分岐が可能となるため、用地の節約に効果がありますが、構造が複雑になるため取扱いや保守管理が難しいという欠点があります。(小野田滋)


”梅鉢工場製作(堺市堺区)”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

梅鉢鉄工場って聞いたことが無い会社ですけど、昔は有名だったんですか?

師匠

中堅の車両メーカーとして、蒸気機関車も造っていた。

小鉄

たとえば?

師匠

太宰治が1933(昭和8)年に発表した「列車」という小説の書き出しは「一九二五年に梅鉢工場といふ所でこしらへられたC五一型のその機關車は、同じ工場で同じころ製作された三等客車三輛と、食堂車、二等客車、二等寢臺車、各々一輛づつと……」と始まる。

小鉄

C51って、昔、特急「燕」を引張っていた蒸気機関車のことですよね。

師匠

お前さんも、ずいぶん詳しくなったな。

小鉄

それにしても、太宰治は列車をよく観察していますね。

師匠

たしかに、描写が鉄道ファンの目線だな。

小鉄

ひょっとして、太宰治は鉄道好きだったのかもしれないですね。

師匠

三鷹電車区に架かる跨線橋で撮った写真がいくつか残っているから、案外そうかもしれんぞ。

小鉄

古いメーカーだから、梅鉢鉄工場で造った車両はもう残っていないでしょうね。

師匠

現役の車両はもう走っていないが、保存車ならいくつかあるぞ。

小鉄

たとえば?

師匠

2020(令和2)年に国の重要文化財に指定された平安神宮の京都市電が、梅鉢鉄工場製だ。

小鉄

ほかには?

師匠

東京都小金井市にある小金井公園で保存されてる、スハフ32形という客車も梅鉢鉄工場製だ。

小鉄

ある所にはあるんですね。

師匠

保存車両だけを専門に調べている鉄道ファンもいるくらいだ。

小鉄

鉄道の「沼」はあちこちにあるんですね。

師匠

お前さんも早く自分の「沼」を見つけてハマってみることだ。

小鉄

師匠。後ろから押さないでくださいよ。自分のタイミングでハマりますから。

師匠

師匠:それは、「押せ」ってことか?

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