ドボ鉄078幹線鉄道の電化

絵はがき:東海道本線・酒匂川橋梁(神奈川県小田原市)


 日本の鉄道は、蒸気機関車によってスタートし、ほどなく電気鉄道も実用化されたが、主として都市内の路面電車として普及し、そのほかでは1904(明治37)年の甲武鉄道市街線、1907(明治40)年の南海鉄道の電化がその先駆となった。一方、幹線鉄道では、信越本線の碓氷峠で、急勾配のトンネル区間における煤煙問題を解決するために、1912(明治45)年に電気機関車が導入された。
 1919(大正8)年、鉄道院に電化調査委員会が設置されて、石炭資源の節約のために鉄道電化を推進すべきとして、平坦線として東海道本線、勾配線として中央本線の調査が行われた。1921(大正10)年には鉄道省に電気局が設置されて体制を整え、翌年には東海道本線東京-小田原間の電化工事に着手したが、関東大震災によって遅延し、1925(大正14)年に東京-国府津間で電気機関車牽引列車の運転を開始し(東京-横浜間は1914(大正3)年に京浜電車線として電化済)、1926(大正15)年に国府津-小田原間、1928(昭和3)年に小田原-熱海間が電化された。
 今回紹介する絵葉書は、「謹賀新年/昭和三年元旦」とある年賀状で、写真には東海道本線鴨宮-小田原間に架かる酒匂川(さかわがわ)橋梁を背景として、盛土区間を通過する電気機関車の姿が記録されている。絵葉書には、イギリスの電機メーカーであるイングリッシュ・エレクトリック社の社名が記され、写真に写る電気機関車は同社のディック・カー工場(イングランド北西部のランカシャー州の州都プレストンにあったディック・カー・アンド・カンパニー社を1919(大正8)年に買収)で1925(大正14)年に製造した6000形機関車(のちのED51形)であることから、会社の宣伝用の絵葉書と推察される。
 その後、丹那トンネルの完成によって1934(昭和9)年には国府津-沼津間が電化されて、東海道本線の電化はようやく函嶺を越えたが、沼津以西が電化されるのは戦後になってからで、東海道本線全線電化完成は、1956(昭和31)年のことであった。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2014年1月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

鉄道の電化はどんなメリットがあるのですか?

A

電化を行って電気動力による電気車(電気機関車や電車)を走らせることによって、よりエネルギー効率に優れた動力を確保でき、蒸気機関車のような煤煙も発生しないというメリットがあります。このため、蒸気機関車の走っていた路線を電化することを「無煙化」とも呼んでいました。また、電気車は、出力も大きく、牽引力や加減速性能に優れ、急勾配にも強いため、特に大都市近郊の路線で用いられました。ただし、変電所や電気設備が必要となるため、地上設備にコストがかかり、停電などのトラブルが発生すると自力で走行できないというデメリットもあります。昭和戦前時代には、空襲による送電設備の破壊が懸念されたため、軍部の反対によって鉄道電化は思うように進展しませんでした。(小野田滋)


”酒匂川橋梁(神奈川県小田原市)”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

酒匂川といえば、黒澤明監督の『天国と地獄』ですね。

師匠

前回の『幕末太陽傳』といい、お前さんもずいぶん古い映画を知ってるな。

小鉄

「明日の特急〝第二こだま〟に乗れ!」ですよね。

師匠

そこまで知ってるってことは、さては昭和の生まれだな。

小鉄

うちの爺ちゃんが『七人の侍』とか黒澤映画の大ファンだったんですよ。

師匠

ネタバレになるから詳しくは話せんが、酒匂川橋梁を通過するシーンは、それまで室内劇だったストーリーが、一気に動き出す重要な転換点だ。

小鉄

DVDで何度も見ましたけど、本物の特急〝こだま〟を走らせたロケだから迫力満点ですね。

師匠

〝こだま〟が酒匂川の鉄橋を渡る直前の左側に、工場や砂利採取場が写っているのに気がついたか?

小鉄

それが何か?

師匠

砂利採取場は、国鉄の専用線で、酒匂川で採取される砂利を運搬するためのナベトロと呼ばれるトロッコやホキ車がはっきりと写っている。

小鉄

工場は?

師匠

砂利採取場に差しかかる直前に、PSコンクリートの鴨宮工場の敷地が一瞬だが写っている。

小鉄

何の工場ですか?

師匠

PSコンクリートは現在のピーエス三菱という会社の前身だが、当時は新幹線で使うプレスレストコンクリート構造のまくらぎや架線を支えるポール(電柱)が製造されていた。

※「プレストレスト・コンクリート(prestressed concrete)」は、一般に「PC」または「PSコンクリート」と略され、日本語では「鋼弦混凝土」とも書き表されます。

小鉄

映画でもわかりますか?

師匠

工場の敷地に、クレーンと製造したばかりのPCまくらぎやPCポールが並んでいるのが写っている。

小鉄

ほかに見所はありますか?

師匠

映画には架設が完了したばかりの東海道新幹線酒匂川橋梁も写っているぞ。

小鉄

東海道新幹線の開業はもう少し後だと思ってましたが、もう酒匂川橋梁は完成してたんですね。

師匠

鴨宮には1962(昭和37)年4月にモデル線と呼ばれた試験線が先行して開設されたから、早い時期に構造物が完成していた。

小鉄

何で鴨宮に試験線を建設したんですか?

師匠

東京から近いし、在来線とも接続して資材運搬に便利な場所だった。あと、戦前の弾丸列車計画の時に買収済みだった用地があったんで、用地買収の手間も省けた。

小鉄

映画のロケはその頃ということですか?

師匠

記録では、1962(昭和37)年10月22日に〝こだま〟の走行ロケを敢行しているから、まさにモデル線が開設された半年後の映像だ。

小鉄

それにしても、師匠は映画そっちのけで何見てるんですか。

師匠

映画に工場や工事現場が登場すると、つい気になってな。

小鉄

最近は、映画やドラマのロケ地訪問が流行ってますから、それと同じってことですね。

師匠

「聖地巡り」だな。ドボ鉄の聖地を紹介するとキリが無いが、たとえば……

小鉄

あっ、話が長くなりそうなんで、続きはまた今度ということで。

諸元絵はがき震災復旧工事概要代表的な電気機関車
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