東京都渋谷区にある明治神宮は、明治天皇と昭憲皇太后を祀る神社として、1915(大正4)年に明治神宮造営局を内務省に設置し、国家事業として建設された。その後、明治神宮を内苑として、外苑の整備も記念事業として行われることとなり、青山練兵場の跡地に絵画館、競技場、野球場などが建設された。
明治神宮は、1915(大正4)年10月7日に地鎮祭を行なって造営工事を開始し、5年後の1920(大正9)年11月1日に鎮座祭が行われた(絵葉書の押印はこの時の記念スタンプ)。この事業に伴って、最寄り駅となる山手線の原宿駅も移転し、渋谷駅寄の現在の場所に新駅舎が建設された。原宿駅の南側には山手線を跨ぐための跨線道路橋として神宮橋が架設され、原宿駅から明治神宮へ至る動線を確保した。
「神宮橋」と題した絵葉書には、1920(大正9)年に完成した神宮橋とその下をくぐる山手線の電車がおさめられ、後方には明治神宮の入口となる大鳥居と、やがて「神宮の森」へと成長する植えられたばかりの樹木を確認できる。
当時の山手線は、電車線と貨物線(現在は湘南新宿ラインとして旅客線としても使用)を分離する複々線化工事が行われつつあり、このため神宮橋も山手線の複々線化を前提として、2径間連続の鉄骨・鉄筋コンクリート桁として設計された。しかし、この絵葉書では西側の電車線は未完成で、山手線の電車は現在の貨物線側を走っている。山手線品川~田端間の電車線が完成し、複々線化されるのは、1925(大正14)年3月のことであった。
初代の神宮橋は、老朽化のため1982(昭和57)年9月に現在の橋に架替えられたが、高欄に御影石を用い、親柱の石材を再利用するなど、初代のイメージを継承したデザインで完成した。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2019年1月号掲載)
Q&A
初代の神宮橋はどのような特徴があったのですか?
設計のコンセプトとしては、山手線の上を跨いでいるため、参拝者が線路の存在に気がつかないように設計されました。このため、背の高い壁高欄として上部のみに玉垣を設け、さらに植栽を植えて線路が俯瞰できないようにしました。古い写真には、高欄に設けられた植栽が写っていますが、1970(昭和45)年以降、荷重負担の軽減を図るために撤去されました。1982(昭和57)年に改築された現在の高欄にも植栽はありませんが、橋詰めの親柱付近の一部に残っています。(小野田滋)
”神宮橋(東京都渋谷区)”番外編
神宮橋の高欄は、変わってますね。欄干というよりも、壁みたいですよ。
よく、気がついたな。神宮橋の設計コンセプトは、橋の存在を気づかせないことにある。
どういうことですか?
神宮橋の下に山手線の線路があるから、蒸気機関車の煙や走る音がして環境がよろしくない。
でも山手線の方が先にできてるから、仕方ないですよね。
そこで高欄を壁式として、その内側に植込みを設けて橋の上を歩く人から橋の存在を感じさせないように工夫した。
あっ。この絵葉書をよく見ると、高欄の内側に植込みがありますね。
新しい神宮橋には高欄の植込みがないが、橋詰の一部には残っているぞ。
今はやりの壁面緑化やコンクリート緑化の元祖ですね。
そういうことになるな。
うちのアパートも、屋根や壁に草木を生やして緑化してみましょうよ。
廃屋と間違われるだけだから、余計なことはやめておけ。