ドボ鉄125岐阜駅を跨ぐ

絵はがき:名古屋鉄道名古屋本線・JR東海跨線橋(岐阜市)


 1887(明治20)年に加納駅として開業した東海道本線の岐阜駅は、現在の岐阜市長住町二丁目付近にあり、東海道本線も現在より300mほど北側の場所を通過していた。岐阜駅本屋の位置は、その後、移転を繰り返して駅名も加納駅から岐阜駅に改称するが、現在の位置に落ちついたのは1913(大正2)年のことであった。
 岐阜市を中心として路面電車の路線網を拡大していた美濃電気軌道(美濃電)は、1914(大正3)年に笠松と新岐阜(現在の名鉄岐阜)を結ぶ笠松線を全通させた。笠松線は、岐阜駅の東側で移転したばかりの東海道本線を跨いでその北側に新岐阜駅を設けたが、「岐阜・笠松線跨線橋之景」と題した絵葉書には、東海道本線を跨ぐ跨線橋が写り、その上を美濃電が通過している。
 美濃電は1930(昭和5)年に岐阜進出をめざしていた(旧)名古屋鉄道(美濃電の合併直後に名岐鉄道に改称)に吸収合併され、さらに1935(昭和10)年に名岐鉄道と愛知電気鉄道が合併して現在の名古屋鉄道が成立し、のちに同社の名古屋本線となった。
 現在は「JR東海跨線橋」と称しているこの跨線橋は、支間15.85mの下路鋼プレートガーダ3連で構成され、橋脚は鋼構造、橋台は煉瓦造で完成した。絵葉書ではかつて東側に併設されていた道路橋の橋脚も確認できる(道路橋は撤去済)。小型電車には不釣合いな堂々たる跨線橋であるが、1948(昭和23)年からは豊橋~新岐阜を結ぶ直通特急がこの橋上を渡ることとなった。
 東海道本線の岐阜駅は、1996(平成8)年に完成した連続立体交差事業で高架化されたため、名古屋鉄道のさらに上を通過することとなったが、JR東海跨線橋は上下関係が逆転したのちも、同じ位置、同じ高さを維持したまま、その役割を果たし続けている。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2022年10月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

参考写真で紹介されているセミボ510形電車はどんな特徴の電車ですか?

A

 称号の「セミボ」にその特徴が集約されています。「セミ」は「セミスチールカー」のことで、一般には半鋼製車と呼ばれています。それまでの客車や電車は台枠や台車、連結器をのぞいてほとんどが木造車体でしたが、半鋼製車は外版のみを鋼製として車内を木製とし、強度と耐久性にすぐれた鉄道車両を実現しました。1922(大正11)年(1923(大正12)年とする説もあり)に神戸市電の車両で初めて採用されましたが、1926(大正15)年に5両が製造されたセミボ510形は初期の事例になります。
「ボ」は、車体の前後に台車を取り付けることによって、車体長が長くなっても容易に曲線を通過できるようにした「ボギー車」にちなんだ称号です。セミボ510形の車体長は13.3mなのでボギー車としては短いのですが、それ以前の2軸単車の車体長は10m弱なので、ボギー車を採用することによって定員が増加しました。また、当時の流行だった流線形の車体を採用している点も大きな特徴です。当初は笠松線で使用されていましたが、ほどなく美濃町線など軌道線に転用され、1997(平成9)年に定期運用から外されたのち、2005(平成17)年までに全車が除籍されました。(小野田滋)

Q

参考写真で紹介されている関西鉄道愛知駅と岐阜駅は、何か関係があるんですか?

A

関西鉄道(現在の関西本線とその支線群)の愛知駅は、名古屋のターミナル駅として1895(明治28)年に開業しました。駅本屋は、1893(明治26)年に帝国大学工科大学造家学科を卒業したばかりの長野宇平治(1867~1937)の設計によるもので、中央に時計塔のある木造の大規模駅舎でした。関西鉄道では、ライバル路線である官設鉄道の名古屋駅(当時は木造平屋建)に負けない停車場建築を実現するため、第一高等中学校で同期だった関西鉄道技師の那波光雄(1869~1960)の仲介で設計を担当することになったとされます。愛知駅は、現在の笹島付近にありましたが、関西鉄道の国有化によって1909(明治42)年に廃止となりました。1913(大正2)年に岐阜駅が移転した際に、岐阜駅に移築されましたが、シンボルだった時計塔は撤去されました。愛知駅を移築した岐阜駅は、1945(昭和20)年7月9日の岐阜空襲で焼失しました。(小野田滋)


”名古屋鉄道名古屋本線・JR東海跨線橋(岐阜市)”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

今回は、鉄道の上下関係がテーマですね。

師匠

鉄道は、先に開業した鉄道が地上を走り、後から開業した鉄道はその上を跨ぐのが基本だ。

小鉄

つまり新しい鉄道の方が、上を通ることになるんですね。

師匠

特に決まりがあるわけではないぞ。新しい鉄道が下をくぐる場合もある。

小鉄

岐阜駅も、古い絵葉書では、東海道本線の上を名鉄が跨いでますね。

師匠

当時は名鉄ではなく、美濃電気軌道だったが、のちにこれが名古屋本線になって、豊橋~名古屋~岐阜を結ぶことになる。

小鉄

今ではパノラマカーが走る看板路線に成長したんですね。

師匠

その後、東海道本線を高架化することになったが、名鉄はそのままでの位置で、JRがその上を跨いで高架橋を建設した。

小鉄

マウントを取り返したんですね。

師匠

上を跨ぐことを競いあっているわけじゃないから、結果的にそうなっただけだがな。

小鉄

ほかにも、マウントを取り返した例はあるんですか?

師匠

姫路駅の西側の山陽本線と山陽電鉄の交差箇所が、同じような関係だったな。

小鉄

どちらも連続立体交差事業が絡んでますね。

師匠

鉄道の上下関係なら、『橋とトンネル』(河出書房新社・2022)という本に書いたぞ。

小鉄

最後にちゃっかり番宣しないでくださいよ。

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