ドボ鉄127名古屋市内への直通

絵はがき:名古屋鉄道豊田線/三河線・梅坪駅(愛知県豊田市)


 現在の名古屋鉄道三河線の前身である三河鉄道は、名古屋市内に直結していなかったために、愛知電気鉄道(のち名鉄)の知立(ちりゅう)か東海道本線の刈谷で乗り換えざるを得なかった。このため、1927(昭和2)年に挙母(ころも)(現・豊田市)~八事(やごと)間を結ぶ系列会社として新三河鉄道を設立し、名古屋市内への進出をめざしたが、折からの不況で着工に至らないまま同社は解散した。その敷設免許は三河鉄道へ譲渡されたのち、1941(昭和16)年の名古屋鉄道との吸収合併によって同社が継承した。
 三河鉄道の設立から半世紀を経た1979(昭和54)年7月29日、梅坪で分岐して日進を経由し、赤池で名古屋市営地下鉄鶴舞線に乗り入れる名古屋鉄道豊田線(延長15.2km)が開業し、念願の名古屋市内への直通が実現した。開業の記念絵葉書には、三河線と豊田線の分岐するあたりを撮影した1枚で、手前が単線の三河線の高架橋である。そのむこうの豊田線には名古屋鉄道と名古屋市営地下鉄の電車がすれ違い、複線の高架橋が名古屋市内をめざして一直線に伸びているのがわかる。
 彼方には、1988年(昭和63)年に開業することとなる愛知環状鉄道の高架橋が見えるが、この時点では日本鉄道建設公団により建設中であった。さらに、2005(平成17)年には、この付近に愛環梅坪駅が新設された。
なお、三河線の北側の西中金駅~猿投(さなげ)間と南側の碧南~吉良吉田間は、2004(平成16)年4月1日に廃止され、旧三河鉄道の営業区間は猿投~碧南間のみとなって現在に至っている。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2022年12月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

三河鉄道は、どんな鉄道会社ですか?

A

 三河鉄道は、西三河地方を南北に縦貫する鉄道として、蒲郡から三河吉田(現在の吉良吉田)、刈谷、知立、挙母、猿投を経て西中金を結びました。1914(大正3)年に最初の開業区間として刈谷新駅~大浜港間が開業して、1936(昭和11)年に全線が完成しました。三河鉄道の設立目的は、沿線の地場産業を結び、海側と山側の物資の交流を促すことにありました。2代目社長の神谷傳兵衛(1856~1922)は、地元の幡豆郡松木島村(現在の西尾市一色町)の出身で、浅草に今も店を構える神谷バーや、わが国最初の本格的ワイナリーである牛久シャトー(茨城県牛久市)の創始者としても知られています。三河鉄道は、1941(昭和16)年に名古屋鉄道に吸収合併されてその三河線となりました。(小野田滋)


”名古屋鉄道豊田線/三河線・梅坪駅(愛知県豊田市)”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

鞍ヶ池公園に保存されている、古い名鉄電車は有名な電車か何かですか?

師匠

名古屋鉄道の前身だった名岐鉄道のデボ800形電車だ。ドボ鉄の第63回で名岐鉄道の頃の絵葉書を紹介したことがあるぞ。

小鉄

もうだいぶ前だから、忘れちゃいましたよ。

師匠

名岐鉄道の特急電車用として、昭和10年に登場した。名古屋鉄道となったのちにモ800形に改称した。

小鉄

豊田市と何か関係があるんですか?

師匠

名鉄豊田線は、昭和54年7月29日に開業したが、その前に3か月間にわたって新線の試験運転を行った編成だ。

小鉄

写真にある「開驛紀念碑」も豊田線が開業した記念碑ですか?

師匠

この碑は、もっと昔の碑だ。

小鉄

たしかに年季がはいってますね。

師匠

三河鉄道時代の1923(大正12)年10月26日の梅坪駅開業時の記念碑だ。

小鉄

今からちょうど100年前ですよ。

師匠

駅が高架化される前からあって、高架工事の時に今の場所に建植した。

小鉄

撤去しなかったんですね。

師匠

前回紹介した石碑もそうだが、こうした古い板碑には、昔の人々の思いが込められているから、粗末にしないことが大切だ。

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