鉄道と舟運の共存を目的として建設される可動橋には、旋回橋、跳開橋、昇開橋などの種類がある。ここで紹介する筑後川橋梁は、佐賀~瀬高間の国鉄佐賀線が、佐賀県と福岡県の県境である諸富~筑後若津間の筑後川を渡る昇開橋として、1935(昭和10)年に完成した。橋長506.4m、可動桁の支間24.2mという諸元で、これを昇降差23mで電動機とバランスウェイトを用いて両側から垂直に上下させる構造となっていた。
「筑後川ニ架設ノ東洋一昇開式鉄橋卜汽船入港」と題した絵葉書には、可動桁を最上部に上げて、船を通過させている様子がおさめられた。機械部分の設計は鉄道省技手・坂本種芳(1898~1988)が担当したが、坂本はアマチュアのマジシャンとして奇術に関する理論書を著し、海外の賞を獲得するなど、その方面で知られた人物でもあった。昇開橋のメカニズムは、坂本にとっても腕の見せ所で、筑後川橋梁の模型は、「科学日本の十大発明」のひとつとして1937(昭和12)年のパリ万博に出品された(この模型は現在、さいたま市大宮区の鉄道博物館で保存・展示されている)。
国鉄佐賀線は、1987(昭和62)年に廃止されたが、筑後川橋梁は、近代化遺産としての価値が認められ、周辺を遊歩道として整備し、2003(平成15)年には国指定の重要文化財となった。保存された筑後川橋梁は、地元に設立された保存団体によって、今も1日数回の昇降が行われており、地域のシンボルとしてイベントなどにも活用されている。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2010年8月号掲載)
Q&A
坂本種芳さんは、どんな方ですか。
筑後川橋梁の設計で、可動部分のメカニズムを担当した坂本種芳さんは、1898(明治31)年12月26日に現在の岩手県遠野市で生まれ、米沢高等工業学校(現在の山形大学工学部)機械科を1919(大正8)年に卒業しました。石川島造船所に入社したのち、1922(大正11)年には鉄道省に転じて工作局工場課の技手となりました。
1927(昭和2)年、鉄道車両を除く機械類(荷役機械、工作機械、建設機械など)を設計する組織として鉄道省工作局に機械課が新設され、坂本さんもその一員となって、大正天皇御大葬に用いる捲揚式の山稜斜面軌道の設計や、アメリカ製のソ20形操重車を改良した国産操重車(ソ30形)の開発などに取り組みました。また、筑後川橋梁では、片側の動力だけで桁を垂直に持ち上げるメカニズムを考案し、1933(昭和8)年に特許第100914号「可動橋動力装置」を取得しました。
技師に昇進ののち、1939(昭和14)年2月には小倉工場設備係長として九州に赴任しましたが、同年7月に鉄道省を退官して、保工業(のちの起重機工業)、東北産業商事、千駄木機械製作所などの役員を歴任し、戦後は山形大学工学部や神奈川大学講師として後進の指導にあたりました。1960(昭和35)年に坂本機械製作所を設立して独立し、港湾施設や工場施設、建設機械、舞台装置などの機械設備を幅広く手がけましたが、1988(昭和63)年11月1日に91歳で逝去しました。
坂本さんのマジックの腕前はプロ級でしたが、そのきっかけは長男の早世で落胆していた際に、鉄道省大臣官房研究所の柴田直光さん(ドボ鉄第10回参照)から気分を紛らわせるために手品の趣味を奨められたことに始まります。1933(昭和8)年には、東京アマチュアマジシャンズクラブ(TAMC)を創設し、戦後は雑誌「奇術研究」を創刊しました。機械技術者らしいアイデアを存分に発揮して「物品拡大術」、「人体浮揚術」、「宙に浮く円盤」などを考案したほか、奇術界の国際的な賞であるスフィンクス賞を受賞しました。 荷役機械の専門書やマジック関係の本を多数出版したほか、疑似科学や超常現象を批判するいわゆる「超能力バスター」の草分けとしても知られました。(小野田滋)
”筑後川橋梁(福岡県/佐賀県)”番外編
アマチュアマジックだから、せいぜいステッキを花束に変えるくらいでしょう。
ところが、坂本さんの腕前は超一流で、アメリカのスフィンクス賞を日本人で最初に受賞した。
すごい人なんですね。
九州へ転勤する時は、当時のマジック界の大スターだった松旭斎天勝(初代)が東京駅に見送りにかけつけたとか、昭和天皇や皇族の御前で腕前を披露したというエピソードが残っている。
そう言えば、人体浮揚術なんて、まさに昇開橋そのものですね。
似てはいるが、原理は少し違っている。
でも最近は、マジックだか、超能力だかわからない芸がたくさんありますよね。
実は、坂本さんは超常現象を批判する「超能力バスター」の元祖としても知られているぞ。
ええっ、「と学会」の人ですか?
いや、それ以前の1975(昭和50)年頃から「超常現象のカラクリ」(日本文芸社)などを出版して、疑似科学を批判していた。
さすが技術者ですね。
昇開橋もマジックもそれぞれ仕掛けがあるから、その仕組みを見極めることが大切だというのが坂本さんの教えだ。
「種も仕掛けも、ちょっとアルヨ」ってことですか。
それはゼンジー北京師匠の決めゼリフだ。それにしてもお前さんはずいぶん古い芸人をよく知っているな。さては、昭和の生まれだな。