ドボ鉄104戸口から戸口へ

絵はがき:東海道線・汐留駅(東京都港区)


 わが国の鉄道分野におけるコンテナ輸送の歴史は、1931(昭和6)年に鉄道省が1トン積の鋼製コンテナ(イ号コンテナ)を100個製作して輸送を開始したことに始まるとされる。この試みは、荷主の好評を得たため、さらに150キロ積の小型コンテナとしてロ号コンテナ、ハ号コンテナが登場したが、一般貨車のような汎用性に乏しかったため、輸送効率が悪く、1939(昭和14)年にいったん廃止されてしまった。
 戦後のコンテナ輸送は、1955(昭和30)年に300キロ積の小型冷蔵コンテナが登場して復活し、ほどなく3トン積コンテナ、5トン積コンテナなどが試作されて、1959(昭和34)年にはコンテナを積載するための専用貨車として、チキ5000形が登場した。そして、同年11月5日、東海道本線の汐留~梅田間を10時間55分で結ぶコンテナ専用の特急貨物列車「たから」号が登場し、本格的なコンテナ輸送が開始された。
 「コンテナ列車(たから号)の積卸作業」と題した絵葉書には、フォークリフトによって荷役をしている様子がおさめられるが、貨物駅もコンテナ輸送を前提とした設備へと改良されることとなった。また、冷凍コンテナや冷蔵コンテナ、タンクコンテナなど、荷主のニーズに応じた様々な種類のコンテナが登場した。
 国鉄のコンテナ輸送は、「戸口から戸口へ」を合言葉として全国へ普及し、1969(昭和44)年からはトラックとの協同一貫輸送と直行の高速貨物列車を用いたフレートライナー輸送が開始され、鉄道の貨物輸送のあり方を大きく塗り変えた。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2012年3月号掲載)

 

この物件へいく


Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

「たから号」はどんな列車だったんですか?

A

EH10形電気機関車+チキ5000形式×24両+ヨ5000形式車掌車という編成で、チキ5000形式は5トン積コンテナを5個積載できましたから、1編成で最大120個のコンテナを積載できました。下りの「たから」は「特急貨車第71列車」として汐留駅19時35分発→梅田駅6時30分着、上りの「たから」は「特急貨車第72列車」として梅田駅20時40分発→汐留駅7時35分着で、どちらも所要時間は10時間55分、最高運転速度は85km/hでした。(小野田滋)


”汐留駅(東京都港区)”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

汐留駅の平面図を見ると、コンテナの線が敷地の真ん中あたりにありますけど、今回の絵葉書はこの場所で写真を撮ったみたいですね。

師匠

どれどれ。

小鉄

ほら、このカーブしている側線に「コンテナ線」って書いてありますよ。

師匠

よく見つけたな。それが「たから」号の発着線だ。

小鉄

何でここだけ線路が曲線なんですか?

師匠

敷地の関係もあるが、コンテナを積卸しする際のフォークリフトの動線や、編成全体を見渡せることなどを考慮している。

小鉄

ほかに何か特徴はありますか?

師匠

フォークリフトが走り回ったり、コンテナをトラックに積み替えたりするから、ある程度の空き地が必要だ。

小鉄

たしかに、絵葉書の写真も「たから号」の横にトラックが待機していて、フォークリフトで積卸ししてますね。

師匠

平面図を見ても、ほかの線路は「密」だが、コンテナ線のあたりには広い空間が確保されている。

小鉄

なるほど。

師匠

コンテナの登場で、貨車もコンテナ専用車が登場し、貨物駅もそれに合わせた施設に整備された。

小鉄

今の貨物列車はほとんどコンテナ輸送ですね。

師匠

現在では、貨物列車が到着したらそのままコンテナの積卸作業を行って、すぐに発車する「着発線荷役方式」が主流になっている。そもそも、それまでの貨物列車の輸送方式というものは……

小鉄

もう少し詳しく話を聞きたいところですが、師匠の蘊蓄が長くなりそうなので、着発線荷役方式ですぐに失礼します。

師匠

コラ💢

工事報告
Back To Top