都市には、様々な歴史や物語がある。源平合戦の屋島の戦い、弘法大師とお遍路さん、『二十四の瞳』『瀬戸大橋』『海辺のカフカ』など、香川県高松市も数多くの作品の舞台となってきた。昔の高松の様子を想像させてくれる文章が、『二十四の瞳』に書かれている。
夕やみのせまる高松の町を、築港の方へと、ぞろぞろあるきながら、早くかえって思うさま足をのばしたいと、しみじみ考えていると、
「大石先生、青い顔よ。」
田村先生に注意されると、よけいぞくりとした。
(中略)
男先生たちに事情をいって、ひとりずつそっとぬけただし、ぬだたうよう大通りをすぐ横町にはいった。そこでもみやげものやたべものの店がならんでいた。のきのひくい家なみに、大ぢょうちんが一つずつぶらさがっていて、どれにもみな、うどん、すし、さけ、さかななどと、ふとい字で書いてあった。(壺井栄)
香川県の県庁所在地である高松市は、四国の玄関口としての機能を持つ水際から市街地が広がっていった。水城として三重の堀とともに築城された高松城も、高松港に隣接している。この水際を起点として、<右脳>となる城下町が山方向へと広がり、紫雲山のふもとの大名庭園・栗林公園へと続いていく。この2地点の間に土産物屋や飲食店等が立ち並び、観光客だけではなく、高松市内外や島で暮らす人々の買い物等でも賑わい、多くの人々が楽しむことのできる町として、今も昔も変わらずに人々が行き交っている。
高松の<左脳>のひとつである県庁は、高松城から現中央公園付近、現四国電力付近へと移転した後に、昭和33(1958)年に現在の場所につくられた。高松県庁を設計したのは建築家の丹下健三で、他にも香川県立体育館を設計している。高松市役所やその他の行政機関、鉄道網等も、それぞれに変遷を経て現在の場所にある。
<右脳>である市街地の構造上の変化は少なく、丸亀商店街のある丸亀町の通りのように今も昔も変わることなく機能し続けている。アーケード街から脇道へ入ると歓楽街が広がるが、商店街も歓楽街も商業地として渾然一体となっている印象を受ける。近年では、瓦町駅のターミナル化や「瓦町FLAG」「丸亀町グリーン」の開業などが相次いでいる。高松という街は<右脳>と<左脳>が渾然一体となった街として、香川の人々の暮らしを支えている。(尾野)
(赤色立体地図:アジア航測株式会社 国土地理院承認番号 平28情使第1285号 / 航空写真:Google Earth)
壺井栄:二十四の瞳,新潮文庫,1957年発行,2010年95刷.
種別 | 都市 |
所在地 | 香川県高松市 |