四国インフラ085 高松駅・高松港
高松には、多くの電車や客船が到着し、出発していく。高松へ、あるいは次の町へと移動していく人々を出迎えるのが、高松駅や高松港だ。 高松港は本州と四国をつなぐ玄関口として、あるいは瀬戸内海の島々を結ぶ航路の拠点として、江戸時 […] ...
四国インフラ084 高松
都市には、様々な歴史や物語がある。源平合戦の屋島の戦い、弘法大師とお遍路さん、『二十四の瞳』『瀬戸大橋』『海辺のカフカ』など、香川県高松市も数多くの作品の舞台となってきた。昔の高松の様子を想像させてくれる文章が、『二十四 […] ...
四国インフラ083 ことでん
高松琴平電気鉄道、通称「ことでん」は香川県高松市を中心に走る民営鉄道である。ことでんは、琴平電鉄、讃岐電鉄、高松電気軌道の3社が昭和18(1943)年に合併して誕生した。この頃は「琴電」「コトデン」といった表記で親しまれ […] ...
四国インフラ078 坂出人工土地
『人工土地は、土地としての機能を備えたコンクリートの版を階段状に上に積み上げた「二階建ての都市」というシステム提案に基づいた土地である。』(「メタボリズムの未来都市展-戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン」より) 言葉で聞 […] ...
四国インフラ077 丸亀城・丸亀港
丸亀城は、讃岐一国を治めていた生駒親正が西讃岐支配のために慶長2(1597)年から5年をかけて築城したものの、一国一城令により廃城となった。その後、讃岐は二分され、寛永20(1643)年より山崎家治が西讃の拠点として再建 […] ...
四国インフラ068 新居浜
日本のまちは、中近世のお城や街道を中心に形成され、現代もそれを引き継いだ形で発展しているケースが多いが、それらとは異なる「企業城下町」と呼ばれるまちが幾つか存在している。その名前の通り、特定の企業の影響を色濃く反映したま […] ...
四国インフラ058 大街道・銀天街
松山の中心部は、戦災で多くの建物が焼けてしまったため、古い建築物はほとんど残っていないが、かつて松山藩が形成した城下町の武家屋敷街と商人街の地割りや道筋は今も残り、当時の面影を感じることができる。武家屋敷街の跡地は、官公 […] ...
四国インフラ056 花園町通り
松山の生んだ文学人、正岡子規は、松山藩士正岡常尚の長男として、現在の花園町通り西側(松山市新玉町)に生まれた。しかし、生誕の地について知る人はあまりおらず、この地に建てられた子規生誕の地の石碑の周りには、放置駐輪が取り囲 […] ...
四国インフラ050 内子
「ゆらり」と燭台のうえで踊る小さな灯り。内子の重厚な家屋に小さく温かい灯りのダンスはよく似合う。 電気のない時代、蝋燭は貴重な光源であり、質の高い蝋燭には大きな需要があった。そこに商機を見出した芳我孝芳は、江戸時代末期、 […] ...
四国インフラ028 はりまや橋
よさこい節に歌われ、純信とお馬の恋物語で知られるはりまや橋。現在かかっている橋は長さ20mほどの目立たない桁橋であるが、その周辺は近世より続く高知城下の一大繁華街として知られる。 関ヶ原の戦いの後に転入した山内一豊は、江 […] ...