ドボ鉄096木橋から鉄橋へ

絵はがき:東海道本線・六郷川橋梁(東京都大田区/神奈川県川崎市幸区)


 1872(明治5)年に、日本最初の鉄道として開業した新橋~横浜間には、22箇所の橋梁が架設されたが、いずれも木橋であった。鉄製の橋梁が初めて用いられたのは1874(明治7)年に開業した大阪~神戸間の鉄道で、下十三川(しもじゅそうがわ)橋梁、水戸川橋梁、下神崎川橋梁、武庫川(むこがわ)橋梁の4箇所に支間70フィート(約21.3m)クラスのイギリス製トラス橋が合計39連用いられた。
 当時、鉄製の橋梁は高価で、しかも日本では製造できなかったため、外国から輸入しなければならなかった。このため、日本でも容易に入手でき、安価な木材を用いたトラス橋や桁橋が用いられたが、木製の橋梁は腐朽するなどして寿命が短く、ほどなく鉄製の橋梁に取替えられた。
 今回紹介する六郷川橋梁は、現在の蒲田~川崎間の多摩川に架設された橋梁で、1872(明治5)年に開業した際には木製のトラス橋が架けられた。しかし、開業からわずか5年後の1877(明治10)年に鉄製(錬鉄製)のトラス橋に架け替えられ、支間100フィート(約30.5m)クラスの複線ポニーワーレントラスがイギリスから輸入された。
 「六郷川の鉄橋」と題した絵葉書には、このイギリス製トラスの上を通過する東海道本線の客車列車がおさめられた。イギリス製のポニーワーレントラスは、支間200フィート(約61.0m)クラスのダブルワーレントラスとともに鉄製トラスの標準設計として、全国各地で用いられた。
 2代目の六郷川橋梁は、活荷重の増加により1912(明治45)年には新設計の3代目の橋梁に架替えられ、トラスは単線用に改造されたのち、1915(大正4)年に御殿場線(旧東海道本線)の山北~谷峨に架かる第二酒匂川橋梁へと転用された。
 第二酒匂川橋梁のうち下り線側は、戦時中の御殿場線単線化のために撤去され、上り線側も1965(昭和40)年に新しい桁に交換され、うち1連がJR東海総合研修センター(静岡県三島市)で保存されているほか、1連が複線に復元されて「六郷川鉄橋」として博物館明治村(愛知県犬山市)で保存されている(国登録有形文化財)。(小野田滋)(「日本鉄道施設協会誌」2018年5月号掲載)

 

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Q&A

文中の専門用語などを解説します

Q

ポニーワーレントラスの「ポニー」はどんな意味があるのですか?

A

小型の馬を表す英語の「pony」と同じ意味です。トラス橋の種類のひとつで、左右の主構の上弦材が上横構で結ばれていない小型のトラス橋をポニートラス(日本語では「矮構」)と称しています。(小野田滋)


”六郷川橋梁(東京都大田区/神奈川県川崎市幸区)”番外編

師匠とその弟子・小鉄が絵はがきをネタに繰り広げる珍問答

小鉄

師匠、明治村の六郷川橋梁のまくらぎですが、形が変じゃないですか?

師匠

いいところに気がついたな。

小鉄

まくらぎは、線路の直角方向に敷くのが常識でしょ。

師匠

六郷川橋梁で使われているのは、縦まくらぎと言って、レール方向にまくらぎを敷く方法だ。

小鉄

どんな場所で使っていたんですか?

師匠

鉄道を導入した明治初期のトラス橋の一部で使われたが、その後は使われなくなった。

小鉄

どんな特徴があるんですか?

師匠

軌道の変位が少ないなどのメリットがあるが、交換作業が難しい。

小鉄

たしかにレールの下を全部掘らなければ交換できないから、作業は大変ですね。

師匠

ところが、1995(平成7)年頃に「ラダーまくらぎ」という名称で、プレストレストコンクリートを使った縦まくらぎが開発されて、一部で実用化されている。

小鉄

明治時代に使っていた技術が、平成時代に復活したってことですね。

師匠

滅(ほろ)んだ技術が何かのきっかけで復活することは、よくあることだ。

小鉄

師匠もそのうち復活するかもしれませんね。

師匠

コラ!わしはまだ滅んでないぞ‼

概要図面1図面2本邦鉄道橋の沿革に就て明治期の鉄道トラス橋1明治期の鉄道トラス橋2
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