四国インフラ027 土佐電

志士の<血管>


高知中心市街地のはりまや橋を交点とし、十字を描いて延びる路面電車路線が土佐電である。創業は明治36(1903)年、土佐電気鉄道株式会社として、四国における電鉄事業の先駆となった。現在のとさでん交通株式会社の前身である。同年7月に行われた創立総会では、高知港に桟橋を建設し、旅客・貨物の運搬を行う電気鉄道を敷設することが決議された。この四国で最初の路面電車が走ったのは、明治37(1904)年5月2日。堀詰〜乗出(現グランド通)間の1.2kmを走る東西方向の本町線と、梅の辻〜桟橋(現桟橋車庫前)間の1.8kmを走る南北方向の潮江線の2路線であった。当時はまだ鏡川を渡らず、2本の短い「線」あった。延伸計画を難しくしたのは、狭い道筋と立ち退きを拒む住民であった。ゆえに当時は、堀詰から堀川を南進し、鏡川沿いを東進し、潮江橋の下流に電車専用の橋梁を架けて梅の辻と繋がるという、クランク状のルートで一本の線状の路線を築いた。開業からわずか2年後の明治39(1906)年のことである。

そこからの勢いが凄まじい。現在の西端駅である伊野駅までつながったのは明治41(1908)年。翌年には東側への延伸が進み、国分川の手前まで。その翌年には大津(現領石通付近)まで。さらに翌年に後免東町まで、と毎年数kmの延伸を続けている。

明治期の高知では、猛烈な勢いで電気鉄道路線が延びた。赤子が短期間で急激に成長するように、高知では、人やモノを運ぶ<血管>が、破竹の勢いで延びていったのだ。道路の拡幅や用地買収などが不可欠であった軌道敷設は困難を極めたはずである。これを莫大な資金を投下しながら、つまりリスクを負いながら、猛スピードで切り拓いていった豪腕。この土佐電には、維新の志士たちの姿が重なる。(尾崎)

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参考文献

山本淳一:土佐電気鉄道 上・下,ネコ・パブリッシング,2016.

種別 鉄道
所在地 高知県高知市 南国市 いの町
規模 路線距離:伊野線11.2km 後免線10.9km 桟橋線3.2km
竣工 全通:伊野線明治41(1908)年 後免線大正14(1925)年 桟橋線昭和3(1928)年
管理 とさでん交通株式会社
とさでん交通
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