「じゃぽーーん」「次は俺の番!」小麦色の肌をしたこどもたちが次々と飛び込んでゆく。「ぶろろぉぉ。」その脇には荷台にたくさんの荷物を積んだ軽トラが走る。四万十、盛夏の風景である。
四万十川流域には、橋脚が短く、桁は頑強なRC造、橋の上には欄干とよばれる手すりがないちょっと不思議な橋が本流、支流あわせて47橋架かっている。この橋は通称「沈下橋」と呼ばれ、その名の通り、増水時に橋が水面に沈下する。橋が水面に沈下することで、流木や土砂が橋に引っ掛かり橋が破壊されたり、川の水が塞止められ洪水になったりすることを防ぐのである。当然、洪水時は通行止めになるが、生活道路としては安価に建設できる沈下橋で十分だった。
いまのかたちの沈下橋が架けられるようになったのは、それほど古い話ではない。戦後のことである。水運が活発に活用されていた時代、四万十川は物資を運ぶ筏や川舟専用の<動脈>であった。そこでは筏や川舟の往来が最優先され、それらを妨げる構造物の建設はたとえ農業堰でさえ常設することは許されなかった。無論筏や川舟の通行を妨げる橋の建設は難しく、川の対岸から対岸への行き来は、仮設の一本橋や、木橋、渡し舟が担っていた。
ところが昭和になると、物資の輸送は徐々にトラックが担うようになり、昭和の中頃には完全に陸運へと移った。筏や帆掛け舟の航行がなくなった四万十川は、水面近くに橋を架橋することが可能となり、これにより洪水をいなす沈下橋がつぎつぎと建設されていった。
四万十川流域の<循環器機能>が水運型から陸運型へと変貌を遂げたその象徴、それが沈下橋だといえよう。(白柳)
奈良文化財研究所:四万十川流域 文化的景観研究,奈良文化財研究所学報第89冊,2011.
種別 | 道路橋 |