四国インフラ023 祖谷

<背骨>の中の秘境


四国の<背骨>四国山地の徳島側に、祖谷(いや)と呼ばれる地域がある。

祖谷という地名について、日本民俗学の開拓者である柳田国男は、“イヤ”は“オイ”と同系語で「祖霊のいます地(祖先の霊魂がいらっしゃる地)」という意味を持ち、後にその意味に合った漢字を当てはめたとする説を唱えているようだ。また、祖谷には平家の隠れ里伝説や開拓伝承が残っており、それを後押しているのは、どこか静かで、けれど力強く雄大な地形美だ。

四国山地をV字型に切り込んだ吉野川の支流、祖谷川にある祖谷渓は約2億年もの間、激流によって削られた渓谷地形。観光名所としても有名な大歩危小歩危は、大理石のような岩肌と澄み切った川が神秘的な風景を作り出している。祖谷川と落合川の合流点より山の斜面にそって広がる落合集落は、集落内の高低差が約390mにも及ぶ急斜面に、江戸時代から昭和の初めに建てられた民家や石垣、畑等が広がる美しい山村集落で、国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されている。また、本流に負けず劣らず暴れ川である祖谷川は、河谷の急峻さも加わり、川をまたぐのは至難であった。そのため集落間をつなぐ<循環器>が生まれた。かずら橋である。

かつてのかずら橋は、住民の生活路として祖谷川各所に13本も架けられていたそうだが、大正末期になると鉄線の吊橋が架けられるようになり、全て撤去された。現在架けられている祖谷のかずら橋と奥祖谷二重かずら橋は、昭和時代に観光用に架けられたもので、安全のためにケーブルが使用されている。そのため、ケーブルを包み込むようにかずらが巻き付けられている、というのが正しい構造と言えるだろう。今でこそ周辺の道路整備等が進み、大型バスや自家用車でも訪れることのできる地域になっているが、その昔は断崖を通らなければ辿り着けない本当の秘境であった。祖谷のかずら橋から更に車で約1時間、山深い谷合いに佇む奥祖谷二重かずら橋は、男橋と女橋の二本の橋の総称。周囲には原生林が広がり、眼下の祖谷川は源流に近いため水の透明度が高く、夏でも冷たく澄み切っている。秘境の中の秘橋である。

四国の<背骨>の中には、こんなにも美しい秘境が、今もなお残っている。(板東)

(赤色立体地図:アジア航測株式会社 国土地理院承認番号 平28情使第1285号 / 航空写真:Google Earth)

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参考文献

青木和夫編:日本史大事典 第1巻 あ~お,平凡社,1992.
徳島県の歴史散歩編集委員会編集:徳島県の歴史散歩,山川出版社,2009.
徳島県県土整備部道路局道路政策課:吉野川に架かる橋梁~橋の博物館《とくしま》~,徳島県,2013.
徳島県観光情報サイト「阿波ナビ」:https://www.awanavi.jp

種別 地形
所在地 徳島県三好市
備考 東祖谷山村落合:平成17(2005)年重要伝統的建造物群保存地区 蔓(かずら)橋:昭和30(1955)年重要有形民俗文化財
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