四国インフラ083 ことでん

香川に広がる<毛細血管>


高松琴平電気鉄道、通称「ことでん」は香川県高松市を中心に走る民営鉄道である。ことでんは、琴平電鉄、讃岐電鉄、高松電気軌道の3社が昭和18(1943)年に合併して誕生した。この頃は「琴電」「コトデン」といった表記で親しまれていたらしい。3社合併後は各社の路線の運行を可能な限り共通化し、効率的な輸送体制の確立が求められていた。様々な対策が講じられたが、そのひとつが高松市内のターミナル駅を瓦町に統合することだった。昭和5(1930)年に琴平電鉄の駅舎として建てられた十角堂をもつ瓦町駅は、空襲で被災したものの、現在の瓦町ターミナルが建設される平成6(1994)年頃まで存在していた。

戦時中の輸送力の強化や人員不足、材料不足、一部路線の休廃止、空襲による被災等を乗り越え、戦後の香川県の復興にも一役を担ったと言われている。高度経済成長に伴う市街地の拡大を受けて、新駅の開設や一部区間の複線化などが行われている。また、香川県民の移動手段としての利用に加え、金比羅参りやお遍路さんの参拝客の輸送を目的として設立された鉄道会社が多かったからか、琴電は沿線地域の観光振興にも力を注いでいた。栗林公園や海水浴場など数多くの観光地と連携し、観光乗車券を発行したり、イベント等を宣伝したりしていた。

高度経済成長に伴う高松市の人口増加により沿線地域の宅地化も進み、地域住民の暮らしを支える交通手段として、琴電の利用も増えていった。しかし、昭和50年代以降、自動車交通の発展とともに、琴電の利用者は減少した。昭和40年代以後、JR四国の誕生や瀬戸大橋の開通、バブル景気の影響を受け、瓦町駅を全面的に改築し、高松の玄関口として瓦町を造る計画が進行していた。しかし、土地買収や百貨店との調整に時間がかかり、複合型商業ターミナルが完成したのは平成9(1997)年だった。この頃の高松は、経済不況の慢性化と自動車普及による都市構造の変革期を迎えていた。そのため、百貨店事業を軌道にのせることができず、平成12(2007)年12月には民事再生法の申し立てを高松地裁に行い琴平電気鉄道株式会社は倒産、平成14(2009)年7月に再出発することになった。この時、それまで親しまれていた愛称「琴電」から平仮名表記「ことでん」に変更し、新たにイメージキャラクターを採用するなど、企業イメージの一新に務めた。

再出発から間もなく10年を迎えることでんだが、今も再生の途中にある。多くの企業や作品とのコラボレーションの実施や、瓦町FLAGの開業など、様々な取り組みを実施している。ことでんだけの話ではないが、交通機関がなくなると、観光客だけではなく、通勤通学や買い物で日々利用している人たちの移動手段が失われてしまうことになる。それを防ぐためには、公共や民営に関わらず、交通機関を利用することが一番である。ぜひ、香川を訪れた際には、家々の間を抜け、田園の中を走っていくことでんを、風景とともに楽しんでほしい。(尾野)

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参考文献

森貴知:琴電100年のあゆみ 讃岐路を走って一世紀 多彩な歴史と車両を綴る, JTBパブリッシング, 2012.
後藤洋志:琴電-古典電車の楽園 讃岐に生きる大正ロマンのオールドタイマー,JTBパブリッシング, 2003.

種別 鉄道
所在地 香川県
管理者 高松琴平電気鉄道株式会社
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